[特集]

神尾 寿の新ビジネス・モデル研究(5):クルマの“付加価値”をめざす乗用車テレマティクス

2007/05/14
(月)
SmartGridニューズレター編集部

本連載では、通信・ITS分野の気鋭ジャーナリスト神尾 寿が、標準技術によって結実した新しいビジネス・モデルを分析していく。第5回目は、有料サービスとしてではなく、車そのものを価値を高める方向にビジネスモデルを変えつつある日本のテレマティクスについて解説する。

F1からスタートし、ケータイの時代へ

 4月10日、トヨタ自動車が新たなテレマティクスサービスとして「G-BOOK mX(ジーブックエムエックス)」を発表した。テレマティクスとは走行中のクルマ向けに通信による情報提供をするサービスだ。現在、乗用車向けでは、トヨタ自動車、日産自動車、本田技研工業が独自のテレマティクスサービスを提供中だ。一方、商用車向けでは、いすゞ自動車が商用車テレマティクスを提供している。

 テレマティクスの歴史は古い。実用化されたテレマティクスの始祖は、1983年、本田技研工業の第2期F1参戦で投入した「テレメトリーシステム」だ。当時、F1マシンがピットイン時に有線でマシン情報を収集する「テレメトリーシステム」は存在したが、ホンダはこれを本格的にワイヤレス化。走行中のマシン情報を無線通信でピットに送信し、さらにバックヤードのオフィス、研究所ともリアルタイムでデータ共有できるようにした。

 一般車向けのテレマティクスは、'90年代半ばに誕生した。まずスタートしたのは、官主導で設立された「ATIS」(95年)と「VICS」(96年)である。両者はどちらも渋滞情報をコンテンツとして扱い、情報は一方向での提供型で双方向性はほとんどなかった。しかし、ATISとVICSが、その後のテレマティクスの礎になったのは間違いない。

 純粋に民間主導のテレマティクスが登場したのは97年のことだ。トヨタメディステーション(トヨタ自動車)が「MONET(モネ)」、本田技研工業が「インターナビ」、日産自動車が「コンパスリンク」を開始。ダイムラークライスラーサービステレマティック日本の「ITGS」、ソニーの「モバイルリンク」も誕生している。さらに翌年、NTTドコモが「iナビリンク」、マツダが「マツダテレマティックス」を立ち上げた。

 2000年代に入ると、ITGSやモバイルリンク、マツダテレマティクスはビジネスモデルが確立できずに市場から撤退。ATISは携帯電話やPC向けの渋滞情報提供サービスに鞍替えした。またドコモのiナビリンクはそのままでは普及をせず、同社はクルマとケータイのサービス融合を図る「VMC (Vehicle Mobile Convergence)」というコンセプトを新たに推進している。

安全・安心、情報の自動アップデートを
実現したG-BOOK mX

 今回、トヨタが発表した「G-BOOK mX」は、'97年の「MONET(モネ)」から数えると4回目のメジャーバージョンアップにあたる。

 トヨタは1997年に会員向け情報サービス「MONET」を開始後、2002年に「G-BOOK」、2005年に「G-BOOK ALPHA」と、トヨタの高級車ブランド“レクサス”向けのテレマティクス「G-Link」を投入した。G-LinkはG-BOOK ALPHAをベースにしているため同世代だが、レクサスではこれを全車標準搭載のサービスにしたのがポイントだ。

 G-BOOK/G-Linkで世代を超えたコンセプトになっているのが、「安全・安心」である。事故時の緊急通報システム「ヘルプネット」や遠隔監視・追跡型の盗難防止システム「G-セキュリティ」といったサービスを標準装備し、事故や盗難への対策といった部分をサービスの柱にしている。

 また、G-BOOK/G-Linkは専用通信モジュール「DCM」の搭載を重視している。DCMはKDDIの第3世代携帯電話(3G)インフラを使う通信モジュールであり、これを搭載するとクルマ側に通信機能が内蔵される。さらに通信料金は「使い放題」だ。G-BOOK mXでは日産やホンダと同じく、カーナビとBluetooth携帯電話を接続して、携帯電話のデータ通信機能を使ってサービスを利用することもできるが、通信コストや接続の手間がいらないことを考えると、DCMを利用するメリットがある。

 “安全・安心”を軸にし、DCMによって利便性も高いトヨタのG-BOOK/G-Linkは、これまでレクサスやクラウンの顧客層を中心に人気が高かった。しかし、その一方で、20代~30代の利用者層に高いニーズのあるカーナビゲーション連携のテレマティクスサービスでは、本田技研工業(ホンダ)の「インターナビ」が一歩リードしている。クルマのセンサー情報を通信経由で収集し、VICS以上の渋滞情報を収集する「フローティングカーシステム(ホンダ以外はプローブカーと呼称)」や、過去の渋滞情報データの解析から未来に発生する渋滞を予測する「渋滞予測システム」の実用化においてホンダが先行している。

 そこで今回発表された「G-BOOK mX」では、従来からの“安全・安心”分野での先行優位性に加えて、これまで弱点であったカーナビ連携機能を強化。「DCM」搭載の利点を生かし、低コスト・高頻度でデジタル地図の差分更新を行う「マップオンデマンド」、リアルタイムでの情報収集を重視したプローブカーシステム「プローブコミュニケーション交通情報」をサービスの柱に据えた。特に前者のマップオンデマンドは世界初のサービスであり、トヨタマップマスターによる差分更新技術の開発とデジタル地図仕様の改良により実現。DCM搭載車では自動での地図アップデートにも対応した。

「クルマを売るサービス」でビジネスモデルを確立

 G-BOOK mXではビジネスモデルも確立された。

 トヨタは初代G-BOOKから先代G-BOOK ALPHAに至るまで、テレマティクスで様々な料金プランやサービスプランを試してきた。初期のG-BOOKは有料コンテンツの課金サービスも提供するなど、iモードのような「情報サービス」としてのビジネスモデルが試行錯誤されてきた経緯がある。しかし、携帯電話と違い、クルマ向けの情報サービスでは複雑な料金プランや有料コンテンツモデルが馴染まず、普及の妨げになっていた。

 そこで今回のG-BOOK mXでは料金がシンプルになり、DCMを利用する「G-BOOK mX Pro」のプランでは通信料および利用料をあわせて年間12,000円(初年度無料)になり、通信料をユーザーが負担する携帯電話接続の「G-BOOK mX」プランでは無料になった。DCM利用の場合は有料であるが、年間12,000円に“通信料が含まれる”定額プランだということを鑑みれば破格に安い。テレマティクス単体で見ると、収益が出る要素がまったくない構造だ。

イメージ

 では、G-BOOK mXのビジネスモデルはどのようになっているのか。この点についてトヨタ自動車e-TOYOTA部の友山茂樹部長は、レクサス向けに提供されたG-Linkにヒントがあると話す。

 「(G-BOOK mXが低価格で提供できる理由の)ひとつには、G-BOOKのデータセンターやソフトウェアの初期投資がある程度償却していることがあげられます。ですから、コスト構造が安くなっている」

 「さらにコストを見定めた上で『どれだけ利益を乗せるか』を考えなければならないわけですが、レクサスにおいてはクルマの価値向上・差別化にテレマティクスが寄与したことが、ビジネスモデルの解決策になっています」(友山氏)

 デザインやブランドと同じく“クルマを売る付加価値”として、G-BOOK mXを位置づけているのだ。その手応えがあったのが、レクサスでの成功だという。

 「カーナビの付加価値向上ではなく、数百万円を超えるクルマの付加価値であり、特にレクサスはブランドの付加価値にもなる。これはレクサスG-Linkで手応えがあった部分です」

 「テレマティクスというサービス単体で収益をあげるのではなく、自動車ビジネス全体の収益の中で考えています。むろん、コスト構造での採算性は取れた上ですけれど、さらに数倍の利益をテレマティクスが生み出すのが、クルマの付加価値向上の部分になるわけです」(友山氏)

 テレマティクスのような“付加価値”でクルマを売る、というのは一昔前ならば考えられなかったビジネスモデルであるが、今では荒唐無稽な話ではない。クルマのコモディティ化が進み、プロダクトのみでの差別化の難しくなった結果、現在の自動車ビジネスでは、デザインやブランド、顧客対応をはじめとする総合的な顧客満足度=CS(CUSTOMER SATISFACTION)など、“ソフトウェア”の部分が重要になっている。特に市場が成熟し、消費者の興味が薄れる“クルマ離れ”現象が進む日本では、顧客の囲い込みや販売促進において“付加価値要素”の重要性や期待感は高い。テレマティクスもこの付加価値になることで、自動車ビジネスの中でビジネスモデルを構築したのだ。この傾向はホンダや日産のテレマティクスも同様である。

海外市場や国内市販カーナビ市場で注目のPND

イメージ

 一方、海外市場に目を向けると、車内の情報端末として急速に普及しているのが、PND(personal navigation device)である。これはカーナビの一種であるが、小型・低価格であり、クルマのセンサー類と直結せず、GPSだけで測位とナビゲーションを行う簡易的なものだ。また、PNDはOSにWindows Mobileなど小型端末向けの汎用OSを使い、最近ではスマートフォンをPNDとして使うオプション機器やソフトウェアも増えている。PNDメーカーで代表的なのはオランダのTomTomとアメリカのGARMINであるが、PNDは汎用的なデバイス、OS、ソフトウェアを組み合わせたパソコン的な“水平分業型”の製品であるため、参入メーカーが増えている。

 PNDの波は国内市場にも押し寄せている。すでに三洋電機、ソニーが製品を投入。またインクリメントPがPND市場向けの地図データとナビゲーションソフトウェアの提供に乗り出し、クラリオンなど一部の市販カーナビメーカーがこれを採用したPNDを市場投入している。日本ではクルマに据え付けするタイプのカーナビが普及しているが、今後、小型車や軽自動車向けにPNDが広まる可能性はあるだろう。

 このPNDを使ったテレマティクスは、現時点で大規模なサービスは存在しない。しかし、欧州ではTomTomを使った商用車テレマティクスが登場している。カーナビ市場は、自動車メーカーによる組込型の「純正カーナビ」と、後付け方式の「市販カーナビ」市場に大別されるが、前者がクルマとの一体化を推し進める一方で、後者はより低コストでクルマと切り離されたPND型が主流になるだろう。自動車メーカーのテレマティクスは、”クルマの付加価値になる”ことでビジネスモデルを確立したが、新たなジャンルであるPND向けテレマティクスは別のビジネスモデルが誕生しそうである。

関連記事
新刊情報
5G NR(新無線方式)と5Gコアを徹底解説! 本書は2018年9月に出版された『5G教科書』の続編です。5G NR(新無線方式)や5GC(コア・ネットワーク)などの5G技術とネットワークの進化、5...
攻撃者視点によるハッキング体験! 本書は、IoT機器の開発者や品質保証の担当者が、攻撃者の視点に立ってセキュリティ検証を実践するための手法を、事例とともに詳細に解説したものです。実際のサンプル機器に...
本書は、ブロックチェーン技術の電力・エネルギー分野での応用に焦点を当て、その基本的な概念から、世界と日本の応用事例(実証も含む)、法規制や標準化、ビジネスモデルまで、他書では解説されていないアプリケー...