[特集]

対談:デジタル放送を語る(1):デジタル化の実現:放送の歴史を変えたMPEG-2

2006/09/21
(木)
SmartGridニューズレター編集部

アナログのMUSE(ミューズ)に賛成した本当の理由は?

—ありがとうございました。デジタル・ネットワークとしてのインターネットが急速に普及する中で、地上デジタル放送サービスも登場し、通信(インターネット)も放送も「デジタル」という共通基盤のうえで、広くサービスが展開されるようになりました。そこで、放送がどのようにデジタル化されたのか、その経緯について、お話を伺いたいのですが。羽鳥先生は、最初はアナログのミューズ(MUSE)を押されていましたね。

羽鳥 放送、とくにテレビ放送には、地上波、衛星〔BS(放送衛星)、CS(通信衛星)〕、CATVの3通りの実現方式がありますが、放送のデジタル化の中で、最も重要な事件は、BS-3後継機(BS-4)を、アナログ方式でいくかデジタル方式でいくかという問題でした。そこで、画像圧縮の問題が大きな注目を集めたのです。

当時、私が在籍していた東京大学の恩師である瀧 保夫先生は、圧縮符号化の研究をされていて、早い時期から画像の帯域圧縮の研究をされていました。このような関係から、私はその研究のお手伝いをし、その分野の勉強をさせていただきました。そのような研究が背景にあり、多くの研究者の大変な努力によって、放送のデジタル化が実現できたときは、本当にうれしかったですね。

—その「大変な努力」って、どんなところが大変だったのですか?

羽鳥 「大変な」というのは、テレビ番組は映像が中心の番組であり、その番組に対するMPEG-2という画像圧縮の理論や標準ができたのはいいのですが、これは谷岡さんのほうのご専門だと思うけれど、それを実現する半導体デバイスなどのハードウェアができないと、実際にはその画像圧縮というのは実現できないわけです。

例えば、現在デジタル・テレビの画像圧縮に使用されているMPEG-2(1995年制定、欄外の用語解説参照)で採用されている、瀧先生が発案された「動き補償」(MC:Motion Compensation)は、原理としてはできていました。

動き補償というのは、テレビに映す被写体の動きの量を検出して、前のテレビ画面から現在のテレビ画面を予測して作るという仕組みです。すなわち、この動き補償を実現するハードウェア(半導体デバイスなど)ができて、画像圧縮の高速処理ができるようにしないと、よい画質の画像はできないのです。

このことで思い出すのは、「ハイビジョン放送研究会」(電波監理審議会、平成4年6月~平成4年12月、猪瀬 博座長)において、BS-3の後継機(BS-4)について、アナログ方式でやるのか、デジタル方式でやるのかということを研究したときに、まだ、放送をデジタル化する環境が整っていなかったため、私はアナログ方式のハイビジョン、すなわちMUSE(ミューズ、用語解説参照)ハイビジョン方式に賛成したのです。これは、後ほど大きな論争を呼ぶ、歴史的な事件となりました。

つまり、当時、放送をデジタル化するためのキー・テクノロジーであるMPEG-2の開発状況を見たときに、標準はできていたものの、まだ実用化の見通しが立っていなかったのです。そのため、当時は、ミューズを使用したアナログ・ハイビジョンにまさる方式はないと判断したのです。つまり、MPEG-2によるデジタル・ハイビジョンの開発は、BS-3後継機(BS-4)には間に合わないと判断したからです。

このような判断をするために、MPEG-2の研究を進めていたNHKやNTTの研究所をはじめ、当時のKDD(現KDDI)の研究所や、アスキーのGCT(グラフィックス・コミュニケーション・ラボラトリーズ)も見学し、技術者とディスカッションや開発状況の調査などをさせてもらいました。当時、日本のMPEG-2の研究開発は、世界のトップレベルの水準でした。

デジタル化の実現:放送の歴史を変えたMPEG-2

羽鳥光俊

羽鳥 ところがハードウェアの進歩は早いもので、その3年半後にはガラッと変わってしまい、MPEG-2の性能が大きく向上しました。この結果、ミューズ方式では27MHz幅をもつ1つのトランスポンダ(用語解説参照)に1チャンネルのアナログ・ハイビジョン〔1(ワン)トラポン・1(ワン)ミューズ・ハイビジョン〕が精一杯でしたが、新しい圧縮符号化技術であるMPEG-2方式では画像の圧縮率が高いところから、1つのトランスポンダに2チャンネルのデジタル・ハイビジョン〔1(ワン)トラポン・2(ツー)デジタル・ハイビジョン〕が送受信できるようになったのです。

つまり、ワントラポン・ワンミューズ・ハイビジョンはできても、ワントラポン・ワンデジタル・ハイビジョンの実現すらむずかしいといっていたのが、3年半経ったら、ワントラポン・ツー・デジタル・ハイビジョンが可能になるほどハードウェアが進歩したのです。

例えば、1つの衛星にトラポン(中継器)を4個積んだとしますと、単純にミューズ方式は、1つのトラポンに1チャンネルですから、計4つのハイビジョンしか処理できませんが、MPEG-2方式の場合は1つのトラポンに2チャンネルですから計8チャンネル(NHK2チャンネル、民放のキー局すべてをカバーできる5チャンネルと、さらに1チャンネルの、計8チャンネル)のハイビジョンが放送できるようになるのです。

それまで私は、ミューズ・ハイビジョンのほうがいいといってきましたが、3年半のうちにMPEG-2のデジタル・ハイビジョンのほうがはるかにすぐれたものになってしまったのです。

技術のブレイク・スルーは、やはり先ほど申し上げた「動き補償」を含むMPEG-2のLSI化というハードウェアの開発だったと思います。

—そのMPEG-2が、アナログかデジタルかの決着をつけたのですか?

羽鳥 当時、日本のBSに割り当てられていたチャンネルは8つであり、BS-3の後継衛星であるBS-4の先発機(用語解説参照)4チャンネルについては、すでにアナログ方式に決定していました。しかし、残りの4チャンネルを受け持つBS-4後発機の方式は、アナログ方式かデジタル方式か、正式には決まっていない状況でした。

このBS-4後発機の方式についても、電波監理審議会が1996年5月に答申をまとめる予定となっていましたが、郵政省(現、総務省)は、「最近のデジタル技術などによる放送環境の急速な変化」を理由に結論を出さずに先送りしました。

その後1年間の検討期間をへて、1997年5月の電波監理審議会で、BS-4の後発機は「デジタル方式が適当である」とする答申が出され、アナログ方式か、デジタル方式かをめぐる歴史的な論争に終止符が打たれたのです。

この約5年間にわたる熱い熱い論争の末、デジタル方式を採用するという歴史的な決定は、アナログ・ハイビジョンからデジタル・ハイビジョンへの移行を意味し、同時に放送の多チャンネル化時代を迎えることにもなりました。

▽つづきはこちら から
http://wbb.forum.impressrd.jp/feature/list/82

 

用語解説

MPEG-2
MPEGは、Moving Picture Experts Groupの略で、動画像圧縮符号化専門家グループおよびその標準名の意味。MPEG-2は、MPEG-1(1993年)に続いて、1995年に、ISO/IECで制定された汎用(蓄積/通信/放送メディア用)の動画像圧縮符号化の国際標準。4~10Mbpsで現行のテレビ(SDTV:圧縮前約170Mbps)品質の画像を、15~30Mbpsでハイビジョン(HDTV:圧縮前:約1Gbps)品質の画像を実現する。圧縮率は1/12~1/50程度。

MUSE(ミューズ)/ハイビジョン
ハイビジョンは、ハイデフィニッション・テレビジョン(HDTV:High Definition Television)からの造語とも言われる。NHK放送技術研究所が中心となり、民放の各社や多くのメーカーが共同で開発した、画面のアスペクト比が9:16で走査線が1125本の横長の高精細度テレビジョンのこと(HDTVともいわれる)。
「MUSE」(ミューズ。MUltiple sub-Nyquist Sampling Encoding system)とは、アナログ伝送のための画像圧縮技術である。1989年からBS2-bで実験放送が開始された。当時は、ハイビジョンによる放送番組をBS1チャンネル当たり27MHzの帯域幅(トランスポンダ)に収めることができる画像圧縮方式は、ミューズ方式しかなかった。しかし、その後、急速にMPEG-2などの、デジタル圧縮方式が登場し、アナログの圧縮方式のミューズに取って代わることになった。

トランスポンダ(トラポン)
トランスポンダ(Transponder)とは、衛星(BS、CSなど)に積み込まれる中継器のこと。略して、「トラポン」ともいわれる。トランスポンダ(中継器)は、衛星に搭載され、地上に設置された無線局(地球局)からの電波を受信して、増幅した後、周波数を変換して再び地球局に向けて電波を送り返す機能をもっている。通常、衛星には複数個のトランスポンダが搭載されている。

先発機
BS-3では、日本に割り当てられた8チャンネルのうちの4チャンネルを利用して、アナログ放送が実施されていた。BS-3の後継衛星として、このアナログ放送を継続するための衛星がBS-4先発機と呼ばれ、残りの4チャンネルを運用するための衛星がBS-4後発機と呼ばれた。

プロフィール

羽鳥光俊氏

羽鳥 光俊

中央大学 理工学部 教授
電波監理審議会 会長
情報通信技術委員会(TTC) 理事長

略歴
1963年 東京大学 工学部 電気工学科卒業
1968年 東京大学 大学院 工学系研究科 博士課程終了、工学博士
1969年 東京大学 工学部 助教授
1986年 東京大学 工学部 教授(1999年 東京大学 名誉教授)
1999年 学術情報センター 教授
2000年 国立情報学研究所 教授(2004年 国立情報学研究所 名誉教授)
2004年より現職(中央大学 理工学部 教授)
この間、主に、通信工学〔移動通信(IMT-2000、ITS、無線LAN)、光無線通信、FTTH、電波干渉に強い通信方式〕、放送工学(放送のデジタル化、置局、著作権処理と著作権制御、画像の帯域圧縮符号化、通信と放送の融合)などの研究に従事。


 

谷岡健吉氏

谷岡 健吉

NHK放送技術研究所 所長

略歴
昭和41年4月 NHK入局、昭和51年 NHK総合技術研究所(現・放送技術研究所)映像管班に異動。平成12年 放送技術研究所(撮像デバイス) 部長、平成18年 放送技術研究所長。昭和57年 テレビジョン学会鈴木記念賞受賞、平成3年 新技術開発財団 市村学術賞受賞、平成5年 高柳記念財団 高柳記念奨励賞受賞、平成6年 大河内記念会 大河内記念技術賞受賞、平成8年 全国発明表彰 恩賜発明賞受賞。工学博士。 昭和23年2月14日生(高知市)。

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