1回3分の水素満充填で走行距離は700kmのFCV
地球の自然環境をこれ以上破壊しないために、理想的なエネルギー源として「水素」に大きな期待が寄せられているが、水素社会へ速やかに移行できるかどうかは、その中核を成す燃料電池自動車(FCV)市場の成長が1つの鍵を握っている。
水素・燃料電池戦略協議会の「水素・燃料電池戦略ロードマップ」(図1)によれば、FCVが仮に600万台(普通乗用車の全保有台数の約1割)普及すると、国内の旅客〔移動のための電車やバス、自動車などの輸送機器に乗っている人(乗員以外)のこと〕にかかるCO2排出量を約9%程度削減する効果があるとしている。
図1 運輸部のエネルギー消費の現状
出所:「水素・燃料電池戦略ロードマップ」図表17
現時点における自動車メーカー各社のFCVの商用向け開発状況は、まず2014年12月15日に、トヨタ自動車が4人乗りの「MIRAI」(みらい)の販売を開始した{写真1(左)}。トヨタではFCVの燃費を示す数値として「走行距離」を用いており、「MIRAI」が1回の水素満充填で走行できる距離は約650km、2016年度以降に運用開始が見込まれる新規格の水素ステーションで充填した場合の走行距離は約700kmになる見通しだということである。
水素元年と呼ばれた2015年前後の動向として、FCVの新車種がMIRAIだけだったことは寂しいかぎりだが、年が明けて2016年に入ると、3月10日に本田技研工業(ホンダ)から「CLARITY FUEL CELL」というFCVが発売された。同車はセダンタイプの5人乗りで、一充填走行距離(参考値ながら)約750kmを達成しているという{写真1(右)}。
写真1 ガソリン車と同じ使い勝手を提供するようになったFCV
(左)トヨタのMIRAI (右)ホンダのCLARITY FUEL CELL
いずれのFCVも1回あたりの水素充填時間は3分程度で、ガソリン車と変わらない使い勝手になっている。従来の電気自動車(EV)のように、充電(エネルギー補給)に長時間かかるというデメリットはなくなっている。
ここまで進化してガソリン車と同じような使い方ができるなら直ちに普及し始めてもよさそうだが、残念ながらまだ大きなハードルがいくつか残されている。
1つは1台あたりの小売価格だ。トヨタMIRAIのメーカー希望小売価格は723万6,000円(消費税込)と、同クラスのガソリン車と比べると3倍以上の値段だ。ホンダのCLARITY FUEL CELLの小売価格も766万円(消費税込)で、庶民が気軽に購入できる価格帯にはなっていない。
産学官の有識者で構成される水素・燃料電池戦略協議会では、平成26(2014)年6月に策定した「水素・燃料電池戦略ロードマップ」の改訂版を2016年3月22日に発表したが、この中でFCVの価格に関して以下のように触れている(要約)。
『FCV は2015 年末までに国内で約400台が販売され、FCV の価格は現在700万円超である。現在の第1世代モデルと比べて、第2世代モデルの市場投入を想定している2020年頃に燃料電池システムのコストを半減し、一般ユーザーへの本格的普及を目指す第3世代モデルの市場投入を想定している2025年頃に燃料電池システムのコストを更に半減する。こうして、2025年頃には同車格のハイブリッド車同等の価格競争を有する車両価格の実現を目指す。』
大雑把にまとめていえば、今年は2016年なので、一般庶民がFCVを手軽に購入できるようになるには、まだ10年近くかかるということである。
「商用水素ステーション」の設置状況
FCVが普及していくうえで解決しなければならない課題の2つ目は、一般ユーザーが手軽に水素を補給できるようにするためのインフラ整備だ。つまり、ガソリン車にはガソリンスタンドが必要になるのと同じように、FCVには水素ステーションが必要になるという話だ。この課題を解決するための1つの政策として、経済産業省では「燃料電池自動車用水素供給設備設置補助事業」で補助金の交付を行っている。一例を挙げると、出光興産はこの補助金の交付を受け、商用供給設備の新設工事を実施し、2016年3月15日から成田国際空港敷地内で商用水素ステーション「成田水素ステーション」の営業を開始している(写真2)。
写真2 成田水素ステーション(出光興産)
出所:出光興産プレスリリース
また、鳥取県では「水素エネルギー実証(環境教育)拠点整備プロジェクト」を民間企業各社と推進しており、同プロジェクトの中で「スマート水素ステーション」(SHS)を日本海側に整備するとしている。ここで採用されているスマート水素ステーションとは、ホンダが開発した高圧水電解システムを使ったパッケージ型水素ステーションのことで、パッケージ化によって、工場出荷後の設置工事期間が大幅に短縮でき、設備の設置面積も大幅に削減できるというものだ(図2)。さらに、経済産業省では、小規模の水素ステーションや移動式の水素ステーションの整備が促進されるように、「高圧ガス保安法」の技術基準を2016年2月26日付で改正した。
図2 水素ステーションパッケージ化イメージ
出所:ホンダWebサイト
ちなみに、現在日本のどこに水素ステーションが開設されているかを確認したいときは、燃料電池実用化推進協議会が運営する、商用水素ステーション検索サイトが便利だ。
前述した水素・燃料電池戦略協議会が3月に策定した「水素・燃料電池戦略ロードマップ」改訂版によると、2015 年度末までに約80箇所が開所予定で、整備目標は2020年度までに160箇所程度、2025年度までに320箇所程度となっている(図3)。
図3 「水素・燃料電池戦略ロードマップ改訂版」
出所:経産省 水素・燃料電池戦略ロードマップ改訂のポイントPDF
水素燃料はまだコスト高
もう1つFCVが普及するために克服しなければならない課題がある。それは水素燃料のコスト削減だ。毎日変動するガソリン代に対し、多くのドライバーはナーバスになっているが、水素燃料についてもその燃料費に厳しい目を向けるはずだ。
先に紹介した成田水素ステーションの場合、当初は1,100円/kg(消費税抜き)で販売する。この燃料費と1回の水素満充填で走行できる距離(今回は650km)を基準にして燃費を計算してみると、1kmあたり水素は13円、ガソリンは11円となり、ほぼガソリン車並みの金額になる(この計算は少々複雑なので省略する)。
ただし、「水素・燃料電池戦略ロードマップ」PDFによると、一般的なガソリンスタンドの整備費が1億円を下回っているのに対して、水素ステーションの整備費は4億円で、非常に高額だ。また水素ステーションの運営費(減価償却費等を除く)についても、年間4,000万円強といわれているのに対して、同じ高圧ガスを取り扱う天然ガスステーションはより少ない人員、小さな面積で運営しているため年間2,000万円強と半分で済む。したがって、水素ステーションもこの水準に近づけていく必要があると、水素・燃料電池戦略協議会は指摘している。
以上のとおり、FCV市場は開花したものの、これからしばらくしてやっと三分咲きを迎えるといった具合で、満開はずっと先になりそうだ。
◎Profile
中山洋一(なかやま よういち)
テクニカルライター
アイワ(現ソニー)、技術雑誌「インターフェイス」編集部などを経て独立。「インターネットユーザーズガイド」(オライリージャパン)を皮切りに技術翻訳や「キーマンズネット」(リクルート、アイティメディア)などのICT情報サイト向け取材記事を多数手がけてきた。現在は、技術・マーケティング解説だけでなく、優れた技術系リーダーの自叙伝制作サポートを手掛けるなど幅広く活動中。