[スペシャルインタビュー]

BTのNGN戦略を聞く(1):世界初のNGN商用サービスと21CNプロジェクト

2007/08/21
(火)

英国の最大手の固定通信網の通信事業者である、BT(British Telecommunications)は、2006年11月から、世界初のNGNの商用サービスを開始し、大きな注目を集めています。ここではまず、2000年初頭に、一時期経営危機に追い込まれたBTが、なぜ「ニュー・ウェーブ(New Wave)」と呼ばれるデジタル・ネットワーク・サービスなどを軸に、驚異的に経営を復活させることができたのか。さらに、BTがなぜNGN(次世代ネットワーク)に取り組んだのか。さらにこのNGNを軸にすえた21CN(21世紀ネットワーク)プロジェクトとは何なのかを、BT グループ テクノロジー&イノベーション 副社長 日本・韓国担当のヨン キム(Yung Kim)氏に語っていただきました。今回は、BTによる世界初のNGN商用サービスの背景と、21CN(21世紀ネットワーク)プロジェクトを中心にお聞きしました。(敬称略)。
聞き手:インプレスR&D 標準技術編集部

BTのNGN戦略を聞く(1)

≪1≫通信事業者が直面する6つの課題とNGNへの動機

■1984年に民営化されて誕生した新生「BT」が、NGNに本気で「取り組もうとした最初の動機は何だったのでしょうか。

ヨン キム氏

キム 現在、多くの通信事業者は現状から脱皮し、新しい事業展開を行うために、いくつかの課題に直面しています。具体的には、図1に示すように、国による規制をはじめ、顧客からの期待、新技術の登場、M&A(合併・買収)、通信設備のコスト問題、コンバージェンス(サービスの融合)などの6つの要素が複雑に絡み合い、通信業界全体が変わっていかざるを得ない状況を迎えているのです。

現在、国際的にも注目を集めているNGN(次世代ネットワーク)というのは、これら通信事業者が直面している課題を解決するために生まれた先進的なネットワークであり、同時に、各通信事業者がユーザーの期待に応えて従来とは異なる、新しいビジネスに参入していこうとする場合にも必須とされるネットワークなのです。

図1:通信業界が直面している6つの課題
図1:通信業界が直面している6つの課題(クリックで拡大)

■6つの中で特に重要なものは何でしょうか?

キム はい。 1の6つの課題(要因)の中で一番大きなものは、「規制」というところです。この規制というのは、従来は政府主導型の形態から、現在は、品質のよいサービスを安く提供して顧客を獲得していくという「市場主導型」の形態に移ってきています。また、それ以外にも、例えば次々に登場してくる新技術への対応、あるいは通信設備の構築・運用に関するコストの削減、さらに業種を超えた業界のコンバージェンス(統合)が加速してきていることなども重要な要素となっています。

しかしBTにとっては、これに加えてさらに大きな要因がありました。それは、2001年の段階において私たちBTが、重大な経営危機に直面していたことです。具体的には、1999年にITU-Rで第3世代のIMT-2000の無線インタフェースの規格(W-CDMAやCDMA2000など)が策定されたため、大きな3Gモバイル・ビジネスのチャンスが到来しました。この時点(2000年4月)で、英国政府は、2000年に第3世代(3G)携帯電話用に2GHz帯の周波数をオークション(競売)にかけました。

■当時、その周波数オークションは国際的に注目され、これが欧州の3G(第3世代携帯)ビジネスの展開を遅らせるほど影響が出たと、話題になりましたね。

キム おっしゃるとおりです。このオークションは予想を超えて価格が高騰し、これに通信事業者は多額の投資(BT、ボーダフォンなど5社で合計約4兆円)を行ったため、膨大な負債を抱えることになったのです。この周波数オークションを契機に、BTの経営は危機的な状況に追い込まれました。そこで、経営再建のため携帯電話ビジネスを分離(2001年)せざるをえなくなり、固定通信サービスだけを提供する通信事業者として再出発することになりました。

その当時は、BTの負債は周波数オークションの負債だけでなく、合計すると300億ポンド(当時、1ポンド:200円換算で約6兆億円。以下すべてこの換算で試算)にものぼる大変巨額な負債を抱えていたのです。そのため、経営を刷新し、ビジネス自体を変えていく必要に迫られて、かなり厳しい経営再建の努力が行われました。固定電話など伝統的なサービスの売り上げの減少を食い止めることはできませんでしたが、新しいサービスが大幅な売り上げ増を達成できましたので、売り上げを回復できるようになりました。

とくに、図2に示すように、BTが「ニュー・ウェーブ(New Wave)」(BTリテール事業部が担当。後述)と命名した、移動通信、ブロードバンド、ネットワークITサービスなどの新しい「デジタル・ネットワーク・サービス」の売り上げが好調に推移(年平均成長率30%増)しました。この結果、2003年から黒字に転換し、最近では経営危機を脱出し復活することができました。参考までに、現在のBT本体とBTジャパンの会社概要を、表1に示します。

図2:BTグループの「ニュー・ウェーブ(New Wave)」の売り上げ推移
図2:BTグループの「ニュー・ウェーブ(New Wave)」の売り上げ推移(クリックで拡大)

BT の会社概要
社名 British Telecommunications plc.(BT)
代表者 会長 サー・クリストファー・ブランド(Sir Christopher Bland)
CEO ベン・ヴァヴァイアン(Ben Verwaayen)
本社所在地 英国 ロンドン ニューゲートストリート81
設立 1896 年。民営化 1984 年
従業員数 106,200 名(2007年3 月現在)
売上高 222億2,300 万ポンド(約5兆3,000億円、2007年3 月現在)
主な事業 BTは世界170カ国で市内・長距離・国際通信サービス、付加価値ブロードバンドおよびインターネット・サービス、ITソリューションを展開。BTは従来の通信事業者からネットワークITサービスのプロバイダへと変革を遂げ、世界中の企業をターゲットにマネージド・ネットワーク・サービスからコンサルティングまで、多岐にわたるサービスとソリューションを提供している。
BT ジャパンの会社概要
社名 BTジャパン株式会社
代表者 会長 北里 光司郎
代表取締役社長 イアン・プルフォード(Ian Pulford)
所在地 〒107-6024 東京都港区赤坂1-12-32 アーク森ビル西館24 階
電話代表:03-5562-6000
開設 1985年(1988 年事務所設立)
組織 British Telecommunications plc.(BT)の日本現地法人
株主:BT100%出資子会社。BT Group plc.のBT Global Services の傘下
従業員数 60名(2007年3月)
売上高 売上高 非公開
主な事業 ネットワークを基盤にしたインテグレーテッド・コミュニケーション、およびIT ソリューション/アウトソーシングの構築と導入の提供。KDDIとの合弁会社「KDDI&BTグローバルソリューションズ」を2006年に設立。
表1:BTおよびBTジャパンの会社概要 (注:1ポンド=240円で換算)

≪2≫NGNはビジネス再編成のキー・テクノロジー

■それは素晴らしいことですね。その気になれば、固定通信事業者にもまだまだビジネスチャンスがあるということですね。固定網の収益の悪化で悩んでいる世界の多くの通信事業者にとって、希望の持てる展開です。ところで、そのような中で、BTではNGNをどのように位置づけられたのでしょうか?

キム 多くの通信事業者はNGNに取り組む際に、このNGNを技術的な問題として取り組んでいるところがありますが、BTにとっては、このNGNは、まさにビジネスの再編成を行うためのキー・テクノロジーという位置づけでした。私たち通信事業者は変わっていく必要がありましたし、そうしなければ、この通信業界のプレーヤーとして生き残ることができなかったという状況でありました。

そこで、ここでは、NGN(次世代ネットワーク)の技術的な内容よりも、なぜこの新しいNGNというネットワークの導入が必要なのか、さらにNGNがBTの将来に、どのようなビジネスの発展と展望を与えるものなのか、という点に焦点を当てて、お話しをしたいと思います。

〔1〕一番のハンディキャップは規制問題

ヨン キム氏

キム NGNを構築する際に、通信事業者にとって一番大きなハンディキャップとなるのが規制問題です。現在、通信業界を見てみますと、各通信事業者は、固定通信サービスだけの通信事業者とモバイル(携帯)サービスだけの通信事業者とに分かれていますが、多くの国々では政府の規制によって、この両者のコンバージェンス(融合)は、認められていないという状況にあります。

しかし、このことは、固定通信とモバイル通信の融合を行ったサービスができないということではありません。その技術は既に存在しているのです。ただ、通信事業者(NGNシステムのユーザー)の観点から見ると、このような固定とモバイルのコンバージェンス(融合)を行うことによって、一体どれくらいの通信設備関係のコスト削減につながるのか、こちらの分析や対応のほうがより大きい問題なのです。

〔2〕英国において進む通信の規制緩和

キム BTにとって、また英国にとっても運のよいことに、現在、通信の規制緩和が順調に進んでいます。このためBTは、すでに、顧客に提供するサービスに関する通信料金の決定を自分の判断で行うことができる、すなわち政府からの規制の対象には置かれていない状況になっています。このため、BTはお客様に、新しい技術を駆使して真にメリットのあるサービスを自由に提供できる環境となっているのです。

このような背景の下に、BTではNGNを、通信事業のビジネス・モデルを次世代型に転換させていくという位置づけで取り組みを行っていますが、もうBTではNGNについて、「次世代」とは呼んでおりません。というのは、BTでは、すでにNGNの商用サービスも開始し、現実のものになっていますので、NGNのNは「次世代のNextではなくて、今のNow」すなわち、「今日のネットワーク」という呼び方をしています。

≪3≫BTの21CNプロジェクトと、NGN商用サービスの開始

■ところで、BTは、21CN(21世紀ネットワーク計画)に基づいて、NGNを推進していると聞きますが、21CNとはどのようなプロジェクトで、その進展状況はいかがでしょうか。

キム 具体的なお話をする前に、BTという会社をご理解いただくために、BTの組織について簡単にご説明しましょう。BTの組織構成は、図3のように、基本的に、BTストラテジー&オペレーションズ部門と、BTリテール事業部、BTグローバルサービス事業部、BTホールセール事業部、オープンリーチ事業部という4つの事業部からなっています。ご質問のNGNを含む21CNの構築と推進は、図3のBTストラテジー&オペレーションズ部門が担当しています。

図3:BTの組織構成図(2007年5月改訂)
図3:BTの組織構成図(2007年5月改訂)(クリックで拡大)

BTは、既存の固定電話設備が古くなり寿命がきていること、設備の維持管理の運用コストの負担が増大してきていることに加えて、CATV(ケーブル・テレビ)事業者との激しい顧客の獲得競争などに対処するため、2004年6月に、NGNの構築を核とした21CN(21st Century Network。21世紀ネットワーク計画)を発表しました。この21CN計画では、2008年には、過半数の利用者が新たな工事を必要とせずに、容易にBTのNGNによって提供されるブロードバンド・サービスを利用可能となる予定となっています。

■このような21CN計画に基づいて、NGNの商用サービスが開始されたのですね。

キム そうです。この21CN計画に基づいて、BTは2006年11月28日から世界でも初めて、既存の電話回線をNGNに移行させ、実際にIP電話サービスなどを開始しました。まさに通信史上において歴史的に新たなページを拓いたと思います。21CN計画に基づいた 、全国的な従来のシステムからNGNシステムへのアップグレードでは、NGN導入のためにBT局舎内の技術者による新たな変更作業はもちろんのこと、お客様の電話機や電話番号の変更もいっさい必要ありません。

具体的には、すでに南ウェールズ地方のカーディフ(図4)では、一般家庭用とビジネス用の両方を対象にして、30万人(2007年8月時点)のお客様にNGNサービスを提供しています。

図4:世界初のNGNの商用サービスを開始した南ウェールズ地方のカーディフ
図4:世界初のNGNの商用サービスを開始した南ウェールズ地方のカーディフ

■ カーディフとは何人ぐらい規模の地域なのでしょうか。どのような特徴をもったところなのでしょうか?

ヨン キム氏

キム カーディフとは、日本でいうと「県」に当たるくらいの大きさのエリアで、このエリアには、大変大きな都市部も含んでいます。そこには大手企業も中小企業もあり、また住宅地もありという状況です。なぜカーディフが選ばれたかと言いますと、やはりこの地域というのがまさに英国の人口統計学的に見た、例えば大企業の割合と一般住宅の割合、そういう世帯の割合が、まさに英国の典型的な状態にある地区だったからです。

≪4≫NGNの導入で電話交換機が消えた!

■ 現在、ユーザーが使用しているNGNの端末というのは、今までの端末とまったく変わらないのか、新しい端末を使っているのか、どうなのでしょうか。

キム もちろん申し上げたとおり、このNGNの動きというのはあくまでも市場主導型で進んでいますので、以前と変えたくないというお客様は、引き続き以前のままの古い端末(電話機)を家庭で使っていただいています。しかし、通信用の従来の電話交換機はすべてIP化された次世代のNGNシステムになってきています。

■ということは、そのカーディフ地方では、もう従来の電話交換機は1台もなくなってしまい、全部ルータなどに置き変わったということですか。

キム そうです。電話交換機に代わって、いわゆるマルチサービス・アクセス・ノード(MSAN:Multi-Service Access Node)という通信装置が導入されています。MSANとは、既存の電話回線やADSL(銅線)や光ファイバ、CATVなどのほか、無線(ワイヤレス)のWiMAXなどの、多彩なアクセス回線を収容できるようにする、ユーザーと通信事業者の窓口に設置されるアクセス用の通信装置です。

通信事業者の端(エッジ。ユーザーと最も近い場所)に設置され、アクセス網(ユーザーからのトラフィックを集約する網)とコア網(そのトラフィックを高速に目的地へ転送する網)を接続する境界にあるところから、エッジ装置とも言われています。このエッジ装置には、レイヤ2あるいはレイヤ3のスイッチング、ルーティング機能などを搭載している製品が多くなっています。

図5:21CN計画におけるコア網とMSANの位置づけ
図5:21CN計画におけるコア網とMSANの位置づけ(クリックで拡大)
〔MSAN:Multi-Service Access Node、マルチサービス・アクセス・ノード〕

■ そのMSANという装置は、どのようなところに設置されるのですか。

キム この21CNのNGNシステムにおけるMSANという通信装置の導入事例を示しますと、図5のような位置づけとなります。つまり、MSANという通信装置のところで既存の有線・無線のネットワークも含めて、いろいろなアクセス網が混在して収容され、MSAN経由でコアとなるIPネットワーク(IP-MPLS-WDM。※1)に接続される構成となっています。ということで、カーディフ地方におきましては、従来のような電話交換機はもはや存在していないという状況です。

■それは、ずいぶん思い切りましたね。

(つづく)

※ 1 IP-MPLS-WDM:IP環境で動作する、WDM技術を使用したMPLS方式による高速・大容量のコア・ネットワーク(バックボーン・ネットワーク)。

IP:Internet Protocol、インターネット・プロトコル(レイヤ3のプロトコル)

MPLS:Multi-protocol Label Switching、複数のプロトコルに対応できるラベル・スイッチ技術。例えば、レイヤ3で転送されるIPパケットに、固定長のラベル情報を付加し、レイヤ2で高速に中継転送できるようにする技術。

WDM:Wavelength Division Multiplex、波長分割多重。1本の光ファイバ・ケーブルの中に、波長が異なる複数の光信号を通すこと(多重)によって、光ファイバの通信容量を飛躍的に増大させる技術。

プロフィール

ヨン キム氏

ヨン キム(Yung Kim)

1956 年9 月8 日 韓国テグ市生まれ。英国国籍。
1980 年 ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジにおいて電気工学の学士号。
1981 年 同大学でマイクロ波工学および近代光学(Modern Optics)の修士号を取得。
1982 年 メッセージ・スイッチング・システムのテスト・エンジニアとしてBT に入社。
1985 年~1995 年 BT の技術研究所にて音声アプリケーション、ATM、インターネットサービスなどの開発に従事。
1998 年からの2 年半はBT ジャパンのテクノロジー担当責任者として日本で勤務。
2004 年5 月、BT グループCTO オフィスのテクノロジー&イノベーション担当副社長に
2004 年7 月より東京へ赴任。同時にBT グループ テクノロジー&イノベーション 副社長 日本・韓国担当に就任。現職

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