[インターネット・サイエンスの歴史人物館]

連載:インターネット・サイエンスの歴史人物館(6)ウェズリー・クラーク

2007/03/29
(木)

革命の起点となったTX-2

クラークは1957年2月に、ロサンゼルスで開催された西部合同コンピュータ会議で、TX-2の設計を公表した。本体は約22,000個のトランジスタによる論理回路と、約600本の真空管のメモリ・ドライバで構成され、256個×256個のコアアレイ37枚、64個×64個のコアアレイ37枚で、計69キロワードのメモリを搭載し、64個のインデックス・レジスタを備えていた。

TX-2は1ワードが36ビットのマシンだが、命令とデータを18ビット×2、あるいは9ビット×4に組み合わせることができた。36ビットでは、加算16万回/秒、乗算8万回/秒、18ビット×2では、加算32万回/秒、乗算24万回/秒、9ビット×2では、加算64万回/秒、乗算60万回/秒の性能を発揮する設計になっていた。これは、Whirlwindの20〜150倍の性能になる。

クラークは、TX-1でWhirlwindの6倍のメモリを有効に活用するため、複数のユーザーが協業できる処理環境を実現する仕組みを考案していた。TX-2は、32個の命令カウンタで実行スケジュールを管理し、優先度が高い処理や実行待ちの処理に、割り込みをかけてインターリーブド・メモリを割り当てることができた。

TX-2は、割り込みにより処理を動的に切りかえるために、複数のメモリ・バンクを切り替えるインターリーブド・メモリを導入し、多重処理が可能なマシンを最初に実現した。クラークがマルチ・シーケンシングと呼んだこの機能は、磁気テープ装置の制御にも利用された。磁気テープ装置は2台接続でき、それぞれ8メガバイト相当のデータを14インチリールの4分の3インチ幅のテープに記録できた。

1959年に完成したTX-2の1,024×1,024ドットの7インチCRTディスプレイは、ライトペンと16ワードのメモリを4つのノブで利用できた。このディスプレイにより、ローレンス・ロバーツは3次元物体をモデル化する方法を研究し、アイヴァン・サザランドは2次元図形を扱う一般的な方法を開発し、CAD、GUI、オブジェクト指向プログラミングの起源となる業績を残した。

マルチ・シーケンシングは、1つの仕事を複数のユーザーが協業して進める仕組みで、全く異なる仕事を複数のユーザーが同時に処理する、タイムシェアリングを目的にはしていなかった。しかし、国防省ARPAの情報処理部長(IPTO)になったサザランドは、ロバーツにTX-2でタイムシェアリングを可能にする研究に助成金を配分した。ロバーツはOSを書き換えて、北米大陸を横断する通信回線で、タイムシェアリング・システム同士の最初の接続実験を行った。ロバーツは後にIPTOに移籍し、ARPANETを現実に導いた。

PCとバイオインフォマティクスの先駆者

クラークはTX-2の製作中に、ローゼンブリスのいたMIT通信生物理学研究所(CBL) のために、TX-2の回路モジュールを流用して、ARC(Average Response Computer)という18ビットの小型マシンを設計した。冷蔵庫2台分の大きさで、メモリは256ワードしかなかったが、クラークは、プログラム内蔵式コンピュータは小型でも強力な実験器具になることを理解していた。そして、25,000ドルほどで購入できるコンピュータを実現できれば、研究現場に普及させることができると考えた。

オルセンとアンダーソンは、1957年8月にDEC(Digital Equipment Corporation)を創業し、TX-2の回路を改良したモジュールを製品化した。クラークはそのモジュールで、安価なコンピュータを設計することにした。彼は1961年5月末から3週間、自宅でコンピュータを設計し、リンカーン研究所の同僚の意見を求めた。

空軍のケンブリッジ研究所から派遣されていたチャールズ・モルナーが、その設計に興味を示した。クラークは、大文字のアルファベットと数学記号が6ビットで表現できるため、6つの12ビット・レジスタを備えた演算器と、1キロワードのメモリのコンピュータを設計し、ディスプレイ装置と小型の磁気テープ装置を接続できるようにした。

LINC(Laboratory Instrument Computer)と名付けられた小型マシンは、ポケットに入る大きさの磁気テープのリールを採用していた。1つのリールで、512ブロックの6ビット・データを記録できるポータブルなパーソナル・メディアは、「LINCtape」と呼ばれるようになった。

約20人のスタッフが、1962年2月末にLINCを完成させた。LINCは、冷蔵庫1台分のキャビネットに500kHzのトランジスタ・モジュールを組み込み、125,000回/秒の命令処理能力を発揮した。LINCは、256×256ドットの5インチのCRTを備え、A/Dコンバータによって、ノブの操作で画面上のカーソルを動かすことができた。ローゼンブリスの要望により、4月にワシントンDCで開催される全米科学学会で、LINCのデモを実施することになった。

http://www.computerhistory.org/tdih/index.php?seldate=5,24,1961

クラークらは4月に、LINCをワシントンD.C.の全米科学学会の会場のホテルに運び、翌日のデモで、小型ながら当時としては強力な計算能力をもつLINCのデモを行った。モルナーは次いで、精神健康学会の科学部長のロバート・リビングストンの研究室にLINCを持ち込み、ジャスパーという猫の頭部に電極を取り付け、脳の電気的反応をディスプレイに表示する実験を行った。行動する生体の脳の電気信号の動きをとらえる最初の実験は成功し、学会に衝撃を与えた。

国立衛生研究所(NIH)所長のジェームズ・シャノンは、生物医学研究のためのコンピュータ活用を検討するため、ブルース・ワックスマンにLINCの評価委員会を編成するように求めた。クラークらはNIHの助成を期待し、神経生理学者のトーマス・サンデルを加えて、生物実験も可能な小さな研究所を設けることを望んだ。しかし、リンカーン研究所の幹部はこのプロジェクトを所管外と判断した。

クラークは、リンカーン研究所を辞めることを決め、ローゼンブリスは1962年12月に生物医学のためのコンピュータ技術研究センターを設立することをNIHに提案した。この提案は他の大学の研究者にも参加を募り、学際的な研究機関の設立を構想していた。NIHは、その準備段階としてセンター開発局(CBO)の開設を認め、ローゼンブリスが所長、ペイピアンが副所長になって、リンカーン研究所から関係人員と設備を移管することになった。

クラークのグループは、NIHから40万ドルの助成を得てLINCを再設計し、さらに精神衛生学会とNASAからも資金を得て、12台のLINCを製作し、指定された研究機関に納入することになった。モルナーは製作負荷とコスト軽減のため、ユーザーが自分で組み立てられるように設計することを示唆した。

新しいLINCは、メモリを2,048ワードに拡大し、クラークのグループは1号機の製作を急いだ。そして、LINCの納入先となる12の大学の研究者を、7月1日から2週間ずつ2回に分けてMITに招き、ユーザーとともに12台のLINCを組み立てる計画を立てた。彼らは部品をサブアセンブリにまとめ、説明書を読めば組み立てられる製作キットとして扱えるようにした。

LINCのユーザーとなる研究者が7月1日に来訪し、開発メンバーはセミナーの講師をつとめながら、1号機と6台分の製作キットをなんとか仕上げた。

来訪者との製作作業はスムーズに進み、6台のLINCはいずれも稼働した。来訪者はそれぞれが持参した計算問題をアセンブラで記述する方法を学び、LINCで実行する作業を繰り返した後、自作したLINCを荷造りして発送した。これらのLINCは、約32,000ドルで製作された。

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