連載:インターネット・サイエンスの歴史人物館(1)バネバー・ブッシュ

インプレスSmartGridニューズレター編集部

2006年11月28日 0:00

コンピュータ・情報通信技術は今日、社会生活においてなくてはならないものになっています。本連載「インターネット・サイエンスの歴史人物館」では、 20世紀初頭に萌芽を見せ、インターネットの誕生など大きな発展を遂げたコンピュータ・情報通信技術の歴史において、多大な貢献を果たしたパイオニア技術者たちの伝記を掲載。やがて「標準技術」へと結実することになる、彼らの手探りの努力に触れることで、現代社会が広く享受している恩恵の源流を探ります。第1回目は、戦前から米国研究開発体制の礎を築き、インターネットの発明に関わる後進たちに多大な影響を与えた、バネバー・ブッシュを取り上げます。

バネバー・ブッシュ
Photo: Courtesy MIT Museum

ハイパーメディアのビジョンを示し
ネットワーク社会を創出する後進たちに多大な影響

バネバー・ブッシュは、微分積分の計算を初めて機械化し、第2次大戦中には軍事技術研究の総監督を務め、高性能レーダーや核兵器などの開発、ペニシリンの量産化など、数々の技術革新を導いた。終戦時にはハイパーメディアのビジョンを示し、米国政府に長期研究と科学者育成の重要性を提言した。

ブッシュの計算機開発に関わったクロード・シャノンは、デジタル時代の到来を告げる理論を示し、世界最初期のデジタル電子計算機であるENIAC(エニアック、Electronic Numerical Integrator and Computer)を開発する動機は、微分解析機を高速化することだった。

ブッシュの提言は、全米科学財団(NSF:National Science Foundation)や、アメリカ国防総省の高等研究計画局(ARPA:Advanced Research Projects Agency)の創設につながり、彼のビジョンはパーソナルコンピュータとネットワーク社会の創出に挑む、数多くの後進に目標を与えた。

ornament

船乗りの家系から発明家へ

ブッシュの父親リチャード・ベリー・ブッシュの先祖は、18世紀初頭にマサチューセッツ州プロヴィンス・タウンに入植し、7代にわたり捕鯨や貿易などの遠洋航海に携わっていた。この町は、マサチューセッツ州西南の半島ケープ・コッドの先端にあり、夏期には広大な砂浜を訪れるリゾート客でにぎわう。母親のエマ・リンウッド・ペインも、この町に初めて銀行を開設した名士の娘だった。

リチャードは、マサチューセッツ州メドフォードのタフツ大学を卒業した後、大学近郊のエヴェレットの町で牧師になり、親友の牧師ジョン・バネバー(John Vannevar)を通じてエマと知り合い結婚した。2人は1890年3月11日にエヴェレットで生まれた長男を、バネバーと名付けた。バネバーには、10歳年上のエディスと、5歳年上のレバという2人の姉がいた。ブッシュ夫妻は1892年、13年過ごしたエヴェレットから、ボストン近郊のチェルシーに移り住んだ。

ブッシュがチェルシーの公立高校に入学して、同校の数学教師だった姉のエディスから1年間学ぶうちに、数学と物理に強い関心を示すようになった。高校生のブッシュは、ボストン湾で小さなヨットを操ることを楽しみ、父の教会のミサではオルガン奏者をつとめた。ブッシュは1909年にタフツ大学に入学し、アマチュア無線クラブに所属した。

人気記事トップ10

人気記事ランキングをもっと見る
インプレスSmartGridニューズレター

定期購読は終了いたしました