[特集]

ユビキタス社会を目指して現実化するアドホック・ネットワーク

2007/12/11
(火)
SmartGridニューズレター編集部

≪4≫アドホック・ネットワークの可能性を拓く「西川プロセッサ」

写真3 石井 啓之教授(筑波大学専門職大学院教授)
写真3 石井 啓之教授

こうした技術開発が進む一方で、アドホック・ネットワークがもつ問題が2つある。電波の衝突と既存プロセッサの限界である。

例えば、MP2Pで動画をアドホック・ネットワーク上で送ると、ビットレートは1台中継するごとに半分になってしまうという実験結果が出た。すなわち初め1Mbpsだったものが、次に500kbps、その次には250kbpsと落ちてしまう。別な実験では、1/10になるという結果もあるという。その原因として、電波の衝突が考えられる。同じ帯域を使って通信をしているため、電波が衝突し、それがスループットを落とす原因となっていると考えられるのだ。ただ、アドホック・ネットワークでは、現在のところ、この電波衝突を防ぐ技術はない。衝突防止をしようとすると処理が増えてスループットが低下してしまうからだ。他に、MIMO(Multiple Input Multiple Output、多入力多出力方式)を利用して帯域を分けるという方法もあるが、物理的な限界のある電波資源の有効活用という視点からすると問題がある。

もう1つの原因として考えられるのが、既存プロセッサのアーキテクチャ上の限界だ。そしてこの問題解決の方法が、西川教授の「データ駆動型プロセッサ(以下、西川プロセッサ)」である。

一般的なプロセッサは1要求1処理の集中処理で、単一の処理では早いが、複数の要求を同時に処理することはできない(集中制御型逐次処理方式)。一方、西川プロセッサの最大の特長は、並列処理、多重処理を行うこと。1つの処理はそれほどでもないが、複数の要求があっても、1つのときと同じ時間で処理できるので飽和状態が発生しにくい。

これを、アドホック・ネットワークで考えてみよう。アドホック・ネットワークの場合、ノードがもたなければならない機能は、クライアント、中継、サーバの3つすべてが要求される。ノードは複数の同時処理を要求されるため、処理するプロセッサには負荷がかかる。さらにMP2Pでコンテンツを送信するとなると、その負荷はさらに大きくなる。

≪5≫アドホック・ネットワークに特化したプロセッサ

このとき、ノードのプロセッサはどういう働きをしているのだろうか。

既存の例えば無線LANシステムで使用されるプロセッサの場合、アクセス・ポイントはアプリケーション(端末)に対して順番に定期的に問い合わせを行い、要求があれば送信権を与えるなどの処理する(ポーリング方式)。ポーリングの間に送信権を与えた端末から要求がくるとポーリングを中断し、端末から要求された処理を行う。このとき、処理後にポーリングを再開できるように、中断したポーリングのステイタス(状態)を記憶する。その保存されたステイタスが増えて、システムを圧迫するため、プロセッサに負荷がかかり、どんどん遅くなってしまうのである。これは、クライアント-サーバ型システムでサーバにアクセスが集中すると重くなり処理が遅くなるのも同じ状態である。

写真4 西川 博昭教授(筑波大学大学院教授)
写真4 西川 博昭教授

西川プロセッサの場合、ポーリングを行わず、端末からデータ送信の要求があったときに初めて処理を開始する「データ駆動型(データ・ドリブン)」であるため、多重処理となっている。この場合、リソースの制限はあるものの、その範囲内であれば1人であろうとn人であろうと、オーバーヘッドが少ないので負荷がかからず、同じ処理速度で処理できるのである。

「アドホック・ネットワークでは、参加者が多いほうが、ノードの密度が高くなり(したがって、安定した中継が可能となる)、ネットワークは安定していくのです。ところが、既存プロセッサでは、ネットワークの参加者が増えると、並列処理ができないので、処理が遅くなり、最終的にはネットワークの伝送速度が落ちてしまう。それゆえ、既存プロセッサはアドホック・ネットワークに向いていないのです。これは、ある課題を集中的に処理するのに特化した現在のコンピュータのプロセッサの構造的な問題であり、これが「既存プロセッサの限界」ということです。今回の研究で開発した西川プロセッサは、レイヤー3で活躍します。レイヤー3は、経路選択、パケット転送処理、ルーティングなどを行いますが、これはネットワーク・レイヤーの機能そのもの。まさに、西川プロセッサはアドホック・ネットワークに特化したプロセッサなのです」(西川教授)

≪6≫高いスケーラビリティを誇る西川プロセッサ

SCOPEの委託を受けたこの研究が終了するのは、2008年度。現在、西川プロセッサは、設計の最終段階にあり、完成は2008年夏ごろだという。

西川プロセッサの特長の1つに高い拡張性があり、1つのチップ上に最大16個のプロセッサを集積することが可能だという。図5の右下に示すように最終バージョンはCUE-v3で、これは今回のSCOPEでの研究以前に開発したCUE-v2がもとになっている(CUEプロジェクト ※)。西川プロセッサは、データ駆動的に並列処理を可能にしているので、拡張時にデュアルコアの場合のような難しさがない。したがって、単純にプロセッサの線幅(設計ルール)を180nmから1/2の90nmにしたら、プロセッサは同じ面積に4つ入り、処理能力も8倍になる。CUE-v3は現在は90nmだが、もっと小さくすることは難しくなく、論理設計の段階では16個まではスケーラブルでできるというシミュレーションができている。65nmだと8個、45nmだと16個になる。データ駆動型プロセッサにスケーラビリティがあることを実証していこうということだ。

図5 データ駆動プロセッサの研究経緯
図5 データ駆動プロセッサの研究経緯(クリックで拡大)

※ 用語

CUEプロジェクト:Coordinating Users' requirements and Engineering constraints、ネットワークの仕事でデータ駆動を実現するプロセッサを作るプロジェクト。拡張性のあるデータ駆動プロセッサを使うとことで、余分な時間がかかることなく、プロトコル処理を実時間で行うことができる。オンチップ・マルチプロセッサ・アーキテクチャの超集積データ駆動プロセッサ

≪7≫西川プロセッサが目指すもの

さて、並列処理が可能なデータ駆動型プロセッサである西川プロセッサだが、従来のプロセッサとはまったくアーキテクチャが異なっている。そのために、たとえ有効性が証明されたとしても、普及させるのはなかなか難しいかもしれない。

WordやExcelなどのアプリケーションやOSといった、現在のコンピュータのシステムは、集中制御型逐次処理方式の通常のプロセッサの上で最適に動くように作られてきているが、データ駆動型のプロセッサで動かすためには、そうした考えをすべて捨てた新しいアーキテクチャをつくる必要がある。そもそも、WordやExcelなどのパーソナル・ユースのアプリケーションには並列処理はあまり必要ではない。

また、交換機などのインフラはサービスの連続性を重視するため、いきなり異質なシステムに移行することもできない。その代わり、ネットワーク・インタフェース・カードなどであれば、OSとも関係しないため、既存システムとも競合しない。

また、西川プロセッサの最大の特長となる並列処理がもっとも生かせる部分でもある。そういうわけで、西川プロセッサは、まずアドホック・ネットワークのルーティング処理やデータ転送などの下位レイヤーから、実装を目指すという。

西川プロセッサが目指すものは、処理の高速化ではない。他人の存在に影響を受けないため、1人でも30人でも処理の時間は同じという多重処理によって、これまで実現できなかったネットワークのさまざまな可能性を開き、今の通信サービスを補完する技術となることだ。

アドホック・ネットワークは、まだ研究が端緒についたところで、その可能性は未知数である。インターネットや電話網など、すでにインフラとして完成しているネットワークと比べると、きわめて脆弱で安全性にも乏しい。しかし、将来的に、ある条件が整えば、通信インフラを補完するものとして機能する可能性もある。そうなれば、西川プロセッサは来るべきユビキタス社会のキーテクノロジーとして、そうした新たな地平を切り開くことになろう。

プロフィール

西川 博昭教授(筑波大学大学院教授)

西川 博昭(にしかわ ひろあき)

現職:筑波大学大学院教授

1976年 大阪大学工学部電子情報工学科卒。
1984年 同大大学院工学研究科博士後期課程修了。工学博士。
日本学術振興会奨励研究員、大阪大学助手、講師、筑波大助教授を経て、現在、筑波大学大学院システム情報工学研究科教授。
1994年7月~95年8月、1997年11月~12月、1998年4月~5月MIT招聘研究員、1998年3月~4月USC招聘教授。データ駆動パラダイムの研究に従事。
2003年 IASTED Best Paper Award in the area of Processor Architecture 受賞。2007年 PDPTA’07 Best Paper Award、WORLDCOMP’07 Achievement Award 各受賞。
電子情報通信学会正会員、情報処理学会正会員、IEEEシニア会員。

プロフィール

石井 啓之教授(東海大学大学院教授)

石井 啓之(いしい ひろし)

現職:東海大専門職大学院組込み技術研究科教授

1977年 大阪大学工学部通信工学科卒。
1979年 同大大学院工学研究科博士前期課程了、同年日本電信電話公社入社。以来、CCITT(現ITU-T)におけるISDNユーザ・網インタフェースプロトコル標準化、TINA-CおよびOMGでの分散処理型ネットワーキングアーキテクチャの標準化、ATM交換システム、IPネットワーキング制御システムの研究開発に従事。
2003年4月より、東海大学電子情報学部コミュニケーション工学科教授、現在同大専門職大学院組込み技術研究科教授。
通信情報ネットワーキング工学の研究に従事。工学博士。
2003年 電子情報通信学会 情報ネットワーク研究賞。
2007年 PDPTA’07 Best Paper Award 受賞。
分担執筆「B-ISDNの基盤技術」。IEEEシニア会員、電子情報通信学会員、情報処理学会会員、電気学会員。

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