[インターネット・サイエンスの歴史人物館]

連載:インターネット・サイエンスの歴史人物館(3)アイヴァン・サザランド

2006/11/28
(火)

26歳でARPAの情報処理部長に就任

サザランドのスケッチパッドに感銘を受けたJ. C. R. リックライダーは、1962年10月1日に国防省高等研究計画局(ARPA)に入り、大陸横断コンピュータ・ネットワークのプロジェクトを創始していた。そして、1963年7月にMITからサンタモニカのホスト・コンピュータ「Q-32」に、遠隔ログインする実験を行った。

1964年に入り、IBMリサーチから誘われたリックライダーは、コンピュータ・ネットワークをIBMの力で拡大する好機と考えた。リックライダーは、自分が率いたプロジェクトに情報処理技術部(IPTO:Information Processing Techniques Office)の名称を得て、その部長にアイヴァン・サザランドを推挙した。

サザランドは1964年7月に、弱冠26歳にして新しいIPTOの部長となり、1,500万ドルの研究予算の配分と、大陸横断コンピュータ・ネットワークのプロジェクトを、リックライダーから継承した。

リックライダーのコミュニティでの交流

リックライダーが形成したコミュニティは、主にタイム・シェアリング、グラフィクス、人工知能の研究者で構成されていた。サザランドは、遙かに高速なコンピュータや個人が対話型で利用できる安価なコンピュータの必要性も理解し、イリノイ大学の超並列処理コンピュータ「Illiac IV」やウェズリー・クラークがワシントン大学で開発していた非同期コンピュータの「Macromodular」も助成の対象に加えた。

サザランドは、リックライダーが形成したコミュニティの研究者の業績を調べ、リンカーン研究所の5歳年上の先輩ローレンス・ロバーツが適任者だと確信するようになった。ロバーツは3次元グラフィクスの先駆的研究者であり、その親友のレオナード・クラインロックはデータ通信の経路制御を、TX-2で研究した。

クラインロックは1961年の論文で、ネットワークを効率的に活用するためには、情報を分割して送信するアイデアを示していた。なお、サザランド、ロバーツ、クラインロックはいずれも、1963年1月に博士号を取得している。

2台のコンピュータの接続実験
「メッセージ・プロトコル」は標準技術の出発点に

リックライダーは大陸を横断する通信回線で遠隔ログインができることを実験したが、トム・マリルはプログラムが相手のコンピュータに電話をかけてログインし、プログラムを実行する実験を、サザランドに提案した。マリルはリックライダーに学んだ心理学者で、タイム・シェアリング・サービスの事業化を計画していた。

サザランドは、ロバーツにこのプロジェクトを監督するように要請し、ロバーツとマリルは、TX-2とサンタモニカのQ-32コンピュータの間で、プログラムの接続実験に取り組むことになった。

彼らはタイム・シェアリングOSを修正し、送り出したメッセージが受信されたことを確認するプログラムを追加し、デジタル・データをキャリア信号に乗せるために自動ダイヤル装置(モデム)を製作した。ネットワーク接続のための手順は、「メッセージ・プロトコル」と名付けられ、互換性がないコンピュータの壁を乗り越える「標準技術」の出発点となった。

2台のコンピュータの接続実験は、ウェスタン・ユニオンの1,200bpsの回線を使用して1965年秋に実施された。接続はうまくいったが、彼らは電話回線が信頼性と応答性において深刻な問題があることに直面した。

コンピュータ・グラフィクス研究の指針を示し
IPTO部長を退きハーバード大学へ

サザンランドは1965年に、リックライダーのすすめでNASAの研究助成管理部にいたロバート・テイラーを雇った。テイラーは、リックライダーが1960年に発表した「人とコンピュータの共生」を読み、その思想に強く共感していた。

サザランドはコンピュータ・グラフィクスの研究を続け、1965年5月に学会で「究極のディスプレイ」と題した講演を行い、いずれ居住空間も表現できるようになると予言した。また、1965年5月のDatamation誌に「コンピュータ・グラフィクスで解明されていない10の問題」という論文を投稿し、研究者が拠り所とすべき問題と達成すべき目標を示した。

サザランドは1966年初めにハーバード大学電気工学部から助教授として誘われ、ローレンス・ロバーツに自分の後任として、IPTO部長の座に就くよう打診したが、ロバーツはリンカーン研究所で仕事をすることを望み断った。

サザランドは1965年6月にIPTOの部長をロバート・テイラーに譲った。テイラーはARPAがリンカーン研究所の51%の費用を支出していることに目をつけ、ARPAの局長に相談した。局長のチャールズ・ハーツフェルドはリンカーン研究所長に電話をかけ、ロバーツにIPTOの任務に就くよう説得させた。ロバーツは1966年末に、チーフ・サイエンティストとしてARPAに赴いた。

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