[インターネット・サイエンスの歴史人物館]

連載:インターネット・サイエンスの歴史人物館(3)アイヴァン・サザランド

2006/11/28
(火)

バーチャル・リアリティの研究
「ヘッドマウント3次元ディスプレイ」を発表

サザランドはハーバード大学で、コンピュータ・グラフィクスの講座を始めると、ロバート・スプロウルという優秀な学生が受講生になった。サザランドは1967年にスプロウルを助手として雇い、ベル・ヘリコプター社と研究契約を締結した。

この研究は夜間における着陸を赤外線カメラで支援することを目的としていたが、彼らはPDP-1で走るソフトウェアとヘッドマウント・ディスプレイを組み合わせて、論文「ヘッドマウント3次元ディスプレイ」を1968年に発表して、バーチャル・リアリティの世界を切り開いた。

ARPAの支援を受け、カリフォルニア大学バークレー校で、1964年にタイム・シェアリング・コンピュータを開発したデビッド・エバンスは、故郷のユタ大学でコンピュータ・サイエンス学部を創設していた。

バークレー校で一緒に仕事をしたファイゲンバウムがエバンスの才能を高く評価していたので、サザランドはユタ大学に移ったエバンスに500万ドルを支援して、ARPAコミュニティへの貢献を継続するように促していた。エバンスはその頃、コンピュータ・グラフィクスを実用化するために、様々な技術を検証し現実的なアプローチを確立しつつあった。

3次元グラフィクスの先端企業
「エバンス&サザランド・コンピュータ」の設立

エバンスは1966年に博士課程の大学院生になったジョン・ワーノックとアラン・ケイに、スケッチパッドと、ノルウェーで開発されたオブジェクト指向言語「Simula」の文献を読ませていた。

エバンスは1968年後半に、サザランドに教授としてユタ大学に移籍するように誘った。彼らはユタ州ソルトレイクシティに、「エバンス&サザランド・コンピュータ(以下、エバンス&サザランド)」を設立し、3次元グラフィクスを事業化した。ワーノックとケイは大学院生としての研究のかたわら、この会社でエンジニアとして働いた。

サザランドは画像を処理する専用プロセッサについて1969年の学会で「ディスプレイ・プロセッサの設計」を発表し、1970年9月にはヘッドマウント・ディスプレイを試作して「不思議の国のアリスの窓」という論文をIEEEの学生誌に発表した。エバンス&サザランドはその後、フライト・シミュレータを開発して、3次元グラフィクスの先端企業として知られるようになる。

VLSI時代の到来を予言

グラフィクス処理に向いたコンピュータの設計を何度も手がけたサザランドは、1975年に集積回路の専門家カーバー・ミードに会い、回路設計をコンピュータ化する研究を始めた。ミードはカリフォルニア工科大学の電気工学部の教授で、ノーベル賞物理学者リチャード・ファインマンの弟子であり、「ムーアの法則」の命名者として知られていた。サザランドはミードとともに、カリフォルニア工科大学にコンピュータ・サイエンス学部を創設することを提案し、1976年にその学部長に就任した。

サザランドは1976年11月にARPAの支援を受けて、RANDコーポレーションで集積回路の会議を開催し、10年以内に100万個のトランジスタを集積するVLSI(Very Large Scale Integration)の時代が到来すると予言、複雑化する回路設計のコンピュータ化に対する公的な研究支援の必要性を訴えた。

サザランドとミードは、1979年9月のサイエンティフィック・アメリカン誌で、論文「マイクロエレクトロニクスとコンピュータ・サイエンス」を発表した。サザランドはこの論文で、集積回路は小さくなるにつれて面積の大半を配線が占めるようになり、スイッチはごく一部を占めるにすぎないことを指摘し、配線のレイアウトには明確な規則を適用できると記した。

サザランド周辺で次々と花開いた成果

サザランドがARPAの支援を取り付け、ミードは半導体設計CADの研究を本格化させることができた。サザランドは、1975年にゼロックス・パロアルト研究所(PARC)のシステム・サイエンス・ラボのマネジャーになった兄のバートにミードを紹介し、グラフィック・ワークステーションの「Alto」で半導体設計CADの共同開発を提案した。

バートは、ミードにPARCで講演する機会を与え、興味を示したリン・コンウェイとダグラス・フェアバーンが共同研究者になることを認可した。

VLSI時代の到来

ミードは回路設計の原理を一般化し、コンウェイとフェアバーンが多数のトランジスタで構成する論理ゲートをビルディング・ブロックとして視覚的に扱えるツールを開発し始めた。ミードとコンウェイは「VLSIシステム入門」を共同執筆して80年に出版し、この書籍によりプロセッサ設計を教える大学が世界中に広がった。

グラフィック・プロセッサ「Geometry Engine」

スタンフォード大学助教授のジェームズ・クラークは、1979年夏から4ヶ月間、PARCに滞在して、グラフィック・プロセッサの「Geometry Engine」を設計し、1982年に学生とともにSGIを創業した。

オブジェクト指向言語「SmallTalk」

クラークはルイジアナ州立大学で修士号を得て、ユタ大学の博士課程でサザランドにグラフィック・プロセッサを学び1974年に博士号を取得していた。クラークの先輩アラン・ケイはPARCで「SmallTalk」を開発して、オブジェクト指向言語と名付けた。

ページ記述言語「Interpress」

また、1978年にエバンス&サザランドからPARCに移籍したジョン・ワーノックは、サザランドの最初の学生でスタンフォード大学で博士号を取得したスプロウルとともに、Postscriptの元になったページ記述言語「Interpress」を開発した。Interpressは、ワーノックがエバンス&サザランド時代に3次元画像のデータベース言語のために考えたアイデアから生まれた。ワーノックはPARCの同僚チャック・ゲスケと1982年にアドビ・システムズを創業し、Postscriptで成功を収めた。

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