「サザランド、スプロウル&アソシエイツ」を設立
サザランドは1980年にカリフォルニア工科大学を退き、カーネギーメロン大学の助教授になったスプロウルを誘って「サザランド、スプロウル&アソシエイツ」を設立した。彼らはカリフォルニア州パロアルトを本拠に、技術コンサルティングとベンチャーキャピタルの仕事を始めた。
サザランドは、カーネギーメロン大学の大学院生のロボット研究を支援して、1984年夏に、6脚の歩行ロボット「トロージャン・コックローチ」を製作した。このロボットは、人を乗せて階段を上り下りすることができた。サザランドはその一方で、1983年にワシントン大学のウェズリー・クラークとチャールズ・モルナーが開発した非同期回路モジュールを見て、非同期回路の可能性に強い関心を抱くようになった。
非同期回路の研究へ
コンピュータは、命令やデータを、メモリ、3次キャッシュ、2次キャッシュ、1次キャッシュ、レジスタという速度が異なる記憶機構とその間の転送経路に、クロック周波数で同期をとりながら取り出している。ムーアの法則によりクロック周波数は2年で倍になるが、メモリのアクセス速度を倍にするには6年かかる。
従って、メモリからデータを読み出す間に、プロセッサが空回りする回数が、年を追って増えていく。また、集積するトランジスタの数が増えるにつれ、同期をとるための回路が複雑化し、電力の消費効率を悪化させる。
サザランドは、イリノイ大学教授のデビッド・ミューラーが考案した論理ゲート(Muller C-element)を連結すると、非同期のFIFO(First-In First-Out)ストレージになることを発見した。サザランドはそれを1989年6月に「マイクロパイプライン」という論文にまとめ、「非同期FIFOレジスタ」の特許を申請した。
A. M. チューリング賞を受賞
この論文を執筆中に、米国コンピュータ学会のACMは、サザランドに1988年度のA. M. チューリング賞を贈ることを決めた。サザランドは1989年2月、ケンタッキー州ルイスビルで開催された学会で、「コンピュータ世界のノーベル賞」を授与された。
サザランドはスプロウルと非同期回路の研究を進め、単純な対称型の回路がデータを渡す相手を識別する能力をもつことを確かめ、同じタイプのゲートをうまく使うと演算まで行える可能性を見いだし、1991年に「ロジカル・エフォート」という論文を発表した。
サン・マイクロシステムズ・ラボラトリーズの設立
彼らは全く新しいプロセッサを設計するには、大きな企業の力を借りる必要があると考え、サン・マイクロシステムズ(以下、サン)のCTOだったエリック・シュミットに相談をもちかけた。創業者の1人ビル・ジョイとシュミットは、偉大な人物の提案に着目してサザランド、スプロウル&アソシエイツを1991年5月に買収し、サン・マイクロシステムズ・ラボラトリーズ(以下、サンラボ)を設立することを決めた。
こうして、アップルで「Lisa」を設計したウェイン・ロージングが所長となり、バート・サザランドがマネジャーを担当し、アイヴァン・サザランドとロバート・スプロウルを初代フェローとするサンラボが発足した。
サンラボが開所して間もなく、オブジェクト指向言語やOSの研究者が集まりだした。サンで「SPRING」というオブジェクト指向の分散OSを開発していたジム・ミッチェルは、カーネギーメロン大学で博士号を取得し、PARCで「Mesa」というシステム記述言語を設計した。
サンラボが発足した頃、Javaの原型となるオブジェクト指向言語に取り組んでいたジェームズ・ゴスリングは、カーネギーメロン大学でスプロウルに学んだ大学院生だった。サンのフェローは、フェローによって選任される。Javaを開発したゴスリングは1995年の秋に、サザランド、スプロウル、ミッチェルによりフェローになることが認められた。