[インターネット・サイエンスの歴史人物館]

連載:インターネット・サイエンスの歴史人物館(5)ジェイ・フォレスタ

2007/02/02
(金)

コンピュータ・情報通信技術は今日、社会生活においてなくてはならないものになっています。本連載「インターネット・サイエンスの歴史人物館」では、 20世紀初頭に萌芽を見せ、インターネットの誕生など大きな発展を遂げたコンピュータ・情報通信技術の歴史において、多大な貢献を果たしたパイオニア技術者たちの伝記を掲載。やがて「標準技術」へと結実することになる、彼らの手探りの努力に触れることで、現代社会が広く享受している恩恵の源流を探ります。第5回目は、 3次元構造のコアメモリ(RAMの先駆け)の発明によって、 オンライン防空システムの実現に寄与したジェイ・ライト・フォレスタを取り上げます。

ジェイ・フォレスタ
Photo: Courtesy MIT Museum

オンライン・コンピューティングの
起源となったWhirlwindとSAGE

ジェイ・フォレスタは、他の装置と連動するリアルタイム・コンピュータを世界で初めて設計し、レーダー網から送信されるデータを収集しながら航空機を追跡し、将来の航路を予測して迎撃機に指令を与える防空システムの実現を導いた。彼が開発したWhirlwindは、複数のレーダーから入力される情報を並列処理し、複数のユーザーがディスプレイ端末を同時に操作できた最初のシステムとなった。

フォレスタのプロジェクトは、アセンブラ、ROM化プログラム、コアメモリ、グラフィック・ディスプレイ、ライトペン、モデム、クラスタリングなどの技術革新を成し遂げた。防空システムの研究拠点となったMITリンカーン研究所は、インターネットを現実に導く多くの人材を育んだ。

ネブラスカの開拓民の子供

ジェイ・フォレスタは、ネブラスカ州クライマックスで1918年7月14日に生まれた。両親はヘイスティングス大学で学び、1910年頃に砂地を開墾して牧牛を始めた。両親は荒地開拓により、この地域で最初に1.6キロ四方の土地を政府から譲り受け、一女一男をもうけた。

フォレスタが生まれた頃のクライマックスの人口はわずか10人だった。両親は1クラスしかない学校の教師もつとめ、フォレスタは1年から4年まで両親の授業を受けた。初等・中等教育を終えたフォレスタは、自宅から29キロ離れたアンセルモ高校に進学した。

高校入学後、フォレスタは電気に興味をもち、T型フォードの点火装置と電池を使って、蝿が感電死する仕掛けをつくり、次いで風力発電機を自作し、牧場で電気を使えるようにした。フォレスタはネブラスカ大学の電気工学部に進み、主席で卒業、1939年7月にMITの修士課程に入った。そして、1941年1月には、ゴードン・ブラウンがその3ヶ月前に創設したサーボメカニズム研究所の助手になった。

砲塔の自動制御技術を開発

米国が第2次大戦に参戦し、フォレスタは銃器の自動制御技術を担当した。陸軍は、兵士が照準器を標的に合わせる動作から得た回転角と位置情報をもとに、砲塔を電気と油圧で旋回させる歯車装置を開発していた。照準器の動作に追随する砲塔の遅延時間が問題になっていたが、フォレスタが考案したサーボ機構が問題を克服した。フォレスタは、1944年に自動制御技術で起業を考えたが、ブラウンに説得されて同年12月に海軍が打診した研究に取り組むことにした。

海軍航空局の特殊装置センターは、新型航空機の安定した飛行性能と操舵性について、空気力学的に分析する方法を模索していた。フォレスタは、ロバート・エヴェレットとともに、この研究を開始した。エヴェレットは、デューク大学を卒業して1942年にMITの修士課程に入っていた。フォレスタは1945年、論文「液圧サーボ機構の開発」を書いて修士号を取得し、翌年7月27日にスーザン・スウェットと結婚した。2人の間には、4人の子供が生まれた。

Whirlwindプロジェクトの成り立ち

Whirlwindと海軍が命名したプロジェクトは、航空機のコックピットを模した装置の油圧サーボ機構を、アナログ・コンピュータで制御することで、 飛行を模擬体験することを目指していた。しかし、アナログ・コンピュータは、連続的に変化する飛行状態のシミュレーションには不向きだった。特殊装置センターのペリー・クロウフォードは、彼らにデジタル・コンピュータの可能性を示唆した。

フォレスタは、放射線研究所が戦時中に動く標的を追跡するために開発したMTI(Moving Target Indicator)の電子回路を入手した。MTIはノイズの多いレーダー画像から、反射波の位相や周波数を変えて敵機を特定することができた。

彼らはその後、プログラム内蔵式コンピュータの設計を学び、入力に即応するコンピュータの要件を考察した。そして、1947年9月4日付の報告書で、フライト・シミュレータ向けのコンピュータを提案した。約50ページの報告書には、87点の図が添付され、設計の詳細を描いていた。

Whirlwindコンピュータの設計図は、16ビットの情報を真空管のフリップフロップ回路によるレジスタに記憶させて、各ビットを16の演算器で並列処理する。さらに、ゲルマニウム・ダイオードのマトリクスで形成されたROMに、プログラムを記憶させて位置スイッチで指定して実行する。このコンピュータは、32個のトグルスイッチで、起動プログラムを立ち上げることができる。フォレスタは報告書で、Whirlwindにより海軍の船舶、潜水艦、航空機の情報を一括処理すれば、互いに協調して活動する能力が高まると指摘した。

海軍研究局は約1年後に、Whirlwindをデジタル・コンピュータのプロジェクトに変更し、年間100万ドルの予算で3年計画のプロジェクトを認可した。フォレスタとエヴェレットは、MITのキャンパスから数ブロック離れたバータ・ビルディングを借り、1948年12月にWhirlwindの開発と製造に着手した。このプロジェクトには、70人の技術者を含む175人のスタッフが動員された。

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