防空システムの情報処理中枢に
ソ連が1949年8月に原爆実験に成功し、米国政府は核攻撃を受ける可能性を考えるようになった。米国本土は外国から攻撃される可能性は低かったので、国内のレーダー基地は9ヵ所しかなかった。
しかし、核爆弾は従来の爆撃機1,000機相当の攻撃力をもつ。第2次大戦中、MITの放射線研究所で爆撃用レーダーH2Xの開発を率いたジョージ・ヴァレイは、1949年11月に空軍の科学諮問委員会に3ページの覚え書きを送付し、防空体制の強化を提案した。ヴァレイは同年12月に、防空システム・エンジニアリング委員会(ADSEC:Air Defence System Engineering Committee)を組織して、防空システム研究に着手することになった。空軍はその後1年間にレーダー基地を43ヵ所に配備し、ヴァレイはレーダー網のデータを統合して指令管制を効果的に行う方法を検討した。
【写真】ジョージ・ヴァレイ(下記PDF2ページ目の写真)
Overview of the Lincoln Laboratory Ballistic Missile Defense Program (PDF)
http://www.ll.mit.edu/news/journal/pdf/vol13_no1/13_1overview.pdf
空軍ケンブリッジ研究所の所長ジョン・マーチェッティの勧めで、ヴァレイは防空システムに活用できるデジタル・コンピュータが存在するかどうかを調べたが、レーダーの情報に即応できるマシンはなかった。ヴァレイは、旧放射線研究所の同僚で、MIT電子研究所の所長ジェローム・ワイスナーに相談し、海軍の予算で開発されているコンピュータがあることを知った。ワイスナーは国防省の諮問委員で、海軍から依頼されてWhirlwindを査察し、海軍がプロジェクトの継続に消極的なことを知っていた。
ワイスナーは、1950年1月27日にヴァレイとフォレスタを昼食に招くことにし、その後でバータ・ビルをフォレスタが案内するよう依頼した。フォレスタは1月20日に、ADSECのメンバーになったクロウフォードからヴァレイの委員会の情報を得ていたため、Whirlwindのデモを準備した。ヴァレイとマーチェッティは、コンピュータの専門家がWhirlwindをどう評価しているのか調べた。
Whirlwindは、3,300本の真空管と8,900個のゲルマニウム・ダイオードで構成されていたが、他のコンピュータの3倍以上の予算が割り当てられていた。フォン・ノイマンは、16ビットのワード長は通常の半分以下で、Whirlwindは複雑な計算には役に立たないと評した。Whirlwindは、1MHzのクロックで16の各ビットを並列処理するために、真空管レジスタと並列演算器に多大な費用がかけられた。各ワードを逐次処理する他のコンピュータより、10倍ほど速くなる可能性はあった。
Whirlwindの性能
ヴァレイの関心事は応答速度で、複雑な計算能力ではなかった。Whirlwindは1月27日に初歩的な問題を処理して、その解をすぐにCRTディスプレイに表示した。フォレスタはCRTメモリの開発が遅れていることを説明し、その問題を克服できれば、Whirlwindは実用段階に入ると語った。ヴァレイは防空システムの構想を話し、Whirlwindがその目的に使えるかどうか確かめた。ヴァレイは、Whirlwindの性能報告書を受け取った。
Whirlwindは、加算を49マイクロ秒、乗算を61マイクロ秒で、1秒間に16,000回から20,000回の演算をこなす[マイクロ秒(μs)は100万分の1秒:0.000001秒]。乗算は、フォン・ノイマンのIASコンピュータより10倍速かった。ビットを並列処理する演算器は、幅60cm x 高さ360cmのラック16台で構成された大規模なもので、全体として150kWの電力を消費する。この電力は18,000本の真空管を使ったENIACの140kWを超えていた。
ヴァレイは、3日後の月曜日にADSECのメンバーを伴って、バータ・ビルを再び訪れ、Whirlwindの完成までにかかる費用を尋ねた。エヴェレットは1年間作業を続けるために、56万ドルかかると言った。1ヶ月後の3月、Whirlwindは空軍の管轄下に移された。フォレスタは6月に、256ワードのCRTメモリで、Whirlwindを約1時間稼働させることに成功した。ヴァレイは、マーチェッティに、バータ・ビルとケンブリッジから24キロ北西にあるローレンス・ハンスコム空軍基地の間で、デジタル・データの送受信実験を行うよう依頼した。
研究が進む中、国防システムの緊急性は急速に増していく。ソ連の核実験に続き、1949年10月1日に中華人民共和国が成立し、1950年6月24日には北朝鮮軍が38度線を越えて朝鮮戦争が勃発した。朝鮮戦争は50年末に終結すると予想されていたが、11月26日に中国軍が参戦し、米軍が劣勢に立つという事態に陥った。