[インターネット・サイエンスの歴史人物館]

連載:インターネット・サイエンスの歴史人物館(2)クロード・シャノン

2006/11/28
(火)

コンピュータ・情報通信技術は今日、社会生活においてなくてはならないものになっています。本連載「インターネット・サイエンスの歴史人物館」では、 20世紀初頭に萌芽を見せ、インターネットの誕生など大きな発展を遂げたコンピュータ・情報通信技術の歴史において、多大な貢献を果たしたパイオニア技術者たちの伝記を掲載。やがて「標準技術」へと結実することになる、彼らの手探りの努力に触れることで、現代社会が広く享受している恩恵の源流を探ります。第2回目は、あらゆる情報はビットで表現でき、その情報を符号化することで、ノイズが混入する通信経路でも誤りのない情報を伝達できることを示し、デジタル情報通信時代の幕開けを告げたクロード・シャノンを取り上げます。

クロード・シャノン

Photo: Courtesy MIT Museum

 

デジタル情報通信理論を確立
今日のマルチメディア通信の可能性を理論的に示す

クロード・シャノンは1936年に、MITの修士論文で電気のオン/オフで計算機の論理回路が設計できることを示してデジタル時代の到来を告げた。シャノンはさらに1948年、「通信の数学理論」で、どんな情報でもビットで表現して測定でき、その情報を符号化すれば、ノイズが混入する通信経路でも誤りのない情報を伝達できることを示した。

シャノンは第2次大戦中に、英国アラン・チューリングと音声通信の暗号化に取り組み、米国における暗号理論と人工知能の研究に先鞭をつけた。シャノンは電信電話の時代に、情報を統計分析に基づいてサンプリングすることにより、帯域幅が拡大するにつれてCD、DVD、デジタル放送が可能になり、インターネット上でマルチメディアの世界が広がることを理論的に示していた。

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発明家を志して

クロード・エルウッド・シャノンの父方の家系は、17世紀に英国ハンプシャーから米国ニュージャージー州に入植したジョン・オグデン(John Ogden)に遡ることができ、トーマス・エジソンもその家系に属していた。シャノンは1916年4月30日の日曜日、同名の父親クロード・エルウッド・シャノンSr.と、ドイツ移民の娘マベル・キャサリン・ウルフの間に、ミシガン州ペトスキーで生まれた。

父は実業家で、母はミシガン州のゲイロード公立高校の語学教師で後に校長になった。子供の頃のシャノンは、模型飛行機やラジコンのボートを作り、農園の周りに張り巡らされた鉄条網を電線がわりにして、友人とモールス信号で通話できるようにした。シャノンは、農業を営みながら農業機械や洗濯機を発明した祖父の影響を受け、発明王エジソンに遠縁とは知らずに憧れた。

シャノンは幼少期から符号化に親しみ、エドガー・アラン・ポーの「黄金虫」(1848)を読んで暗号に興味を持った。シャノンは1932年に16歳でゲイロード高校を卒業し、ミシガン州立大学に入学し電気工学と数学を専攻した。シャノンは1936年にミシガン州立大学で電気工学と数学の学士号を得て、MIT電気工学部の大学院に進んだ。

バネバー・ブッシュの研究助手に

シャノンは大学の掲示板で、工学部長のバネバー・ブッシュが、アナログ・コンピュータの微分解析機の研究室の助手を募集していることに着目した。ブッシュが1931年に完成させた微分解析機は、微分方程式を曲線で表現して、その曲線をクランクを回してなぞるトレーサーから入力する。そして、その計算に対応できるようにシャフトの接続やギア比を設定する必要があった。

研究助手としてのシャノンの仕事は、持ち込まれる計算問題を微分解析機で解けるように、入力と機械の設定を手助けすることから始まった。この作業は準備に2、3日、計算にも2、3日かかることがあった。

ブッシュは1936年に、計算式をパンチ・テープで入力でき、真空管回路とプラグ・ボードで設定を容易にし、サーボモータにより機械部品を駆動するロックフェラー微分解析機の開発を開始していた。シャノンは、プラグ・ボードの回路のプロトタイプをリレーで設計する役割を担うようになり、ミシガン州立大学で学んだブール代数による論理演算がリレーのオン/オフを利用した回路で実行できることに気づいた。

デジタル計算の機械化を可能にする理論
0と1の世界、2進数で計算機の回路設計を可能に

そして、1937年の夏にニューヨーク市のベル電話研究所でリレーを研究する機会を与えられ、ブール代数とスイッチング回路の関係を分析し、2進数で計算機の回路が設計できることを確認した。ベル研究所のジョージ・スティビッツは同年11月に、自宅の台所でリレーと電池による2進回路を設計し、翌年2月に複素数を計算するデジタル回路を設計した。

シャノンが修士論文として準備し、1938年3月に米国電気工学学会に提出した「リレーとスイッチング回路の記号分析」は、論理回路をリレーや真空管で設計する原理を示していた。

シャノンは、電流を通す回路が閉じた状態をオンとし、回路が開いた状態をオフとし、それぞれに1(=オン)と0(=オフ)を対応させた。具体的には、直列に配備したスイッチのすべてが閉じた状態(オンの状態)、つまりすべてのスイッチに1が入力されたときのみ1を出力する「AND」回路、並列に配備したスイッチのいずれかが閉じた状態(オンの状態)、つまり少なくとも1つのスイッチに1が入力されたときに1が出力される「OR」回路、さらに、入力と反対の値を出力する(0が入力されれば1を、1が入力されれば0を出力する)「NOT」回路という回路記号を提示した。

これにより、スイッチング回路が加算、減算、乗算だけでなく、 論理演算で真偽の結論を導く回路を構成できることが明確になった。

暗号解読や遺伝子研究にも才能を発揮

シャノンは1938年の夏まで、ブッシュが海軍の要請で開発していた日本の外交電文の暗号解読を効率化する装置の真空管回路の設計を担当した。高速選択機(Rapid Selector)と呼ばれたこの装置は、1936年に1分間に1千の指紋を照合するために考案されたものだが、膨大な数の暗号文をマイクロフィルムにし、内容を比較分析して使われた暗号を特定するために応用されることになった。

シャノンは1938年9月に、ブッシュのすすめで専攻を電気工学から数学に変更して博士号を目指すことになった。ブッシュはさらに、シャノンのスイッチングの理論が遺伝子研究に役立つ可能性があると考えて、コールド・スプリング・ハーバー研究所の遺伝子学者バーバラ・バークス(Barbara Burks)の研究に加わることを提案した。シャノンは1939年の夏、ニューヨークのロング・アイランドにあるこの研究所に滞在し、1940年4月に「理論遺伝子学の代数」を博士論文として提出した。

ベル研究所の防空砲火制御システム

シャノンは1940年の初夏に、電気工学の修士号と数学の博士号を取得して、ベル研究所でスイッチング回路の設計について研究した。ベル研究所ではスティビッツが、450個のリレーと10基のクロスバー・スイッチを使用した最初のデジタル計算機を完成させていた。シャノンは同年9月に、プリンストン高等研究所の特別研究員となり、世界的に著名な数学者ヘルマン・ヴァイルと通信の数学問題を研究する機会に恵まれた。

バネバー・ブッシュは、1940年6月12日にローズベルト大統領から国防研究委員会を設立することを承認され、11月にMITに放射線研究所が設立された。放射線研究所は、英国で開発されたマイクロ波レーダーの技術を完成させ、ドイツの航空機やミサイルから英国を防衛する対空砲火制御システムを開発する使命を担った。

ベル研究所はこのプロジェクトで、レーダーの情報に基づいて敵機の軌跡を予測する装置を開発することになった。当時の対空砲火は、高度10kmを時速480kmで飛行する敵機を、20秒で同じ高さに到達する砲弾で撃墜しようとするものであった。新しい装置は、レーダーの観測データから未来の敵機の位置を予測して、照準と砲火のタイミングを自動化することを目指していた。

MITの数学者ノーバート・ウィナーは、ノイズが多いレーダーの情報から航空機のデータを抽出し、敵機と砲弾が衝突するいくつかの座標点を、確率論と統計的な手法で絞り込む方法を考案した。ベル研究所では、敵機の線形な軌跡を前提にした予測装置を検討していたが、1941年6月4日にウィナーと会合し、装置の開発には高度な数学が必要になることを認識した。ベル研究所の数学部門長ソーントン・フライは、シャノンに予測装置の開発に加わることを要請した。

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