[インターネット・サイエンスの歴史人物館]

連載:インターネット・サイエンスの歴史人物館(4)J. C. R. リックライダー

2006/12/20
(水)

ARPAからIBMへ

リックライダーは、1964年に入ってIBMリサーチから誘いを受け、MITで描画プログラム「Sketchpad」を開発したアイヴァン・サザランドにARPAの地位を譲ることを決めた。サザランドは、リックライダーが開発に携わったライトペンと、グラフィック・ディスプレイで、様々な図形を描きそれらを操作できるようにした。

リックライダーは、自分が率いたプロジェクトを情報処理技術部(IPTO)の名で継承すること、そして年間の研究助成予算を1.5倍の1,500万ドルに増額することにARPA上層部の合意を得て、1964年6月末にARPAを去った。

リックライダーは、コンピュータ・ネットワークの夢をIBMの力で拡大することを期待し、また、グラフィカル・ユーザー・インタフェースを用いて直感的にプログラミングを行う方法を研究しようと考えていた。そして、リックライダーは1964年9月に、ニューヨーク州ヨークタウンハイツのトーマス・ワトソン研究所に入所した。

リックライダーは若い助手を得て、FORTRAN(FORmula TRANslation、1957年にIBMで開発された世界初の高級言語)のリアルタイム・デバッガーの開発に取りかかり、さらに画面上のフローチャートでプログラム・ロジックを表現して、コードを自動生成するシステムを構想した。また、Lisp(List Processor、リスプ)インタプリタをIBM 360で使えるようにした。しかし、IBMが49歳のリックライダーに期待していたのは、IBMのコンピュータの伝道師としての役割だった。

「コミュニケーション・デバイスとしてのコンピュータ」

リックライダーは1966年半ばに、IBMのケンブリッジ・サイエンティフィック・センターに転勤した。1964年2月に開設されたIBMの施設は、プロジェクトMACが5階、8階、9階を使用していたテクノロジー・センターのビルの4階に入居していた。リックライダーは間もなくしてMIT電気工学部の客員教授になり、1年後の1967年10月11日にMIT電気工学部の教授になった。

1965年7月にARPAの情報処理部長に就任したロバート・テイラーは、リックライダーの「人とコンピュータの共生」に共鳴していた。彼はリックライダーがMITに戻ると、「コミュニケーション・デバイスとしてのコンピュータ(The Computer as a Communication Device)」を共同で執筆した。この論文は、サイエンス・アンド・テクノロジー誌の1968年4月号に掲載された。

彼らは、新しい時代では「豊富な生きた情報を対話型で利用でき、本や図書館を受動的に利用するだけでなく、共同作業に積極的に参加できるようになる」と記し、電子商取引、デジタル・ライブラリ、オンライン・コラボレーションなどが可能になる未来像を描いた。ファノは、リックライダーにプロジェクトMACの監督を委ねることを決め、1968年8月13日、リックライダーが9月1日付でディレクタになることを発表した。

ダイナミック・モデリングの研究

リックライダーは、グラフィカルなプログラミング環境の研究にARPAの支援を取り付け、1969年に「ダイナミック・モデリング」と名付けた研究グループを発足させた。ダイナミック・モデリングは、今日のUML(Unified Modeling Language)の先駆けとなる研究だった。リックライダーは、1967年9月にDECがPDP-10を発表すると、ARPAの資金でPDP-10をテクノロジー・スクウェアの9階に導入し、「IMLAC」というグラフィック端末で研究を開始した。

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