[インターネット・サイエンスの歴史人物館]

連載:インターネット・サイエンスの歴史人物館(16)ノーマン・エイブラムソン

2008/05/30
(金)

ノーマン・エイブラムソンは、ARPANETプロジェクトで開発されたパケット通信を、4つのハワイ諸島に散在するハワイ大学の7施設で中央のコンピュータを共有するために、1970年に無線通信で実現するALOHANETを開発した。エイブラムソンはパケットを、ランダムアクセス・チャネルとブロードキャスト・チャネルの2回線で送受信する方法で通信を成立させ、衛星通信によるALOHANETとARPANETの接続にも成功した。この通信方式は、ローカル・エリア・ネットワークのEthernetの開発に示唆を与え、今日のCDMA方式の携帯電話網に至る無線移動通信の発展の礎となった。

ノーマン・エイブラムソン

スタンフォード大学でCRCを開発

ノーマン・マニュエル・エイブラムソンは1932年4月1日に、マサチューセッツ州ボストンのユダヤ人家庭で生まれた。かれはボストンで幼少年期を過ごし、近郊のケンブリッジのハーバード大学に進学し、1953年に物理学の学位を取得した。かれはその後、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)で1955年に物理学の修士号を得、スタンフォード大学電気工学部に移り1958年に電気工学の博士号を取得した。博士論文は「レーダー検知とコーディング問題に対する"実験の比較"の応用(Application of "Comparison of Experiments" to Radar Detection and Coding Problems)」であった。

エイブラムソンはスタンフォード大学で教職を得、電気工学、通信理論、コンピュータ・ネットワーク、衛星通信などを教え、1958年に准教授になり1965年まで在籍した。かれはこの間、IBMのためにCyclic Redundancy Check(CRC:巡回冗長検査)を1961年に考案し、1963年12月に特許(U. S. patent 3,114,130)を取得した。

CRCは、シリアルI/Oのデータ伝送で誤りが発生したかどうかを検出するために、送信データを特定の数で除算した余りを誤り検出用の符号として付加し、送信データが特定の数で割りきれる数になるようにして伝送する。受信側は、送信側と同じ特定の数で除算し、余りが0以外の場合にデータに誤りがあると判断し、送られてきたデータを破棄し、再送を要求する。

ハワイ大学でコンピュータ科学の教授に

エイブラムソンはその後、カリフォルニア州立大学バークレー校、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)の客員教授を歴任し、米国政府や企業の研究所のデータ通信網や衛星通信のコンサルタントをつとめ、スイスのジュネーブに本部がある国際電気通信連合(ITU)のコンピュータ・ネットワークの専門委員にも選ばれた。

サーファーだったエイブラムソンは、バケーションでハワイを訪れ海の波の起伏の大きさに感動して、ハワイ大学(University of Hawaii)に電気工学の教授として働けないか問い合わせた。かれは、それから1年近く経った1968年に電気工学の教授としてハワイ大学に赴任し、コンピュータ・サイエンス学部の最初の教授になった。ホノルル近郊のマノア・バレー(Manoa Valley)にあるハワイ大学は、IBM 360モデル65を導入しタイムシェアリングOSのTSO (Time-Sharing Option)を稼働させていた。

ハワイ大学は、マノア・バレーのメインキャンパスだけでなく、ハワイ島のヒロ(Hilo)に4年制のカレッジがあり、ハワイ、オアフ、カウアイ、マウイの各島にある5ヵ所の2年制のコミュニティ・カレッジで構成されていた。さらに、ハレアカラ山とマナケア山に天文台があり、地球物理学や海洋生物学では船舶で研究しているグループがいた。これらの施設はマノア・バレーから半径300kmの範囲内にあり、エイブラムソンは着任早々に大学のコンピュータを全ての施設で共有する方法を模索した。

ALOHANETプロジェクト

エイブラムソンは1968年9月に、無線で実験的なデータ通信ネットワークを実現するのが望ましいと考え、アーキテクチャを検討し始めた。無線は、ポイント・トゥ・ポイントの電話回線とは異なり、共有チャネルを利用してブロードキャストと多重アクセスを実現できる可能性があった。しかし、無線の場合は、電話のようにデジタル通信の技術が確立されておらず、周波数帯、帯域幅、伝送速度の仕様から考える必要があった。

エイブラムソンは、船舶からのコンピュータ・アクセスを研究に含め、電話回線より安価で優れた無線パケット通信を海軍に提案し研究助成を得た。かれは次いで、トーマス・ガーダー(Thomas Gaarder)、フランクリン・クオ(Frankllin Kuo)、シュー・リン(Shu Lin)、ウェズリー・ピーターソン(Wesley Peterson)、エドワード・ウェルドン(Edward Weldon)による研究チームを編成した。

このチームは1969年に、ユーザからの情報を1チャネルでパケットを高速送信する方式でデータ通信を成立させる方法を開発することにし、ヒューズ・エアクラフトのデビッド・ブラバーマン(David Braverman)の支援を得て、413.75Mhzのブロードキャスト・チャネルと407.350MHzのランダムアクセス・チャネルで、それぞれ帯域幅が100kHzの2チャネルを使用できるようになった。

エイブラムソンは、ARPANETでルータの役割を担うIMP(Interface Message Processor)を参考にして、小型のコンピュータでパケットを中央からユーザ端末にブロードキャストすることにし、国防省高等研究計画局(ARPA)に助成を申請した。ARPAの情報処理技術部ディレクタ、ラリー・ロバーツ(Lawrence G. Roberts)は、エイブラムソンのプロジェクトを重視し、すぐに支援することを決めた。

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