[インターネット・サイエンスの歴史人物館]

連載:インターネット・サイエンスの歴史人物館(15)ダグラス・カール・エンゲルバート

2008/04/15
(火)

ダグラス・エンゲルバートは、ネットワーク化されたコンピュータを活用して、人間の知的生産性を集団のコラボレーションにより増強することを最初に目指した。かれが1968年に行ったオンラインシステム(NLS)のデモは、マウスによる直感的な操作法、ハイパーテキスト、マルチメディア・グループウェアの出発点となり、近未来のコンピューティングの方向性を示した。NLSはその後凋落するが、エンゲルバートのビジョンはWebが台頭する中で再評価され、コンピュータ技術者としての最高の栄誉となるACMチューリング賞と国家技術勲章を受賞した。

ジョン・ジョージ・ケメニー

Memexとの出会い

ダグラス・エンゲルバートは1925年1月30日に、オレゴン州ポートランドで生まれた。ダグラスは3人兄弟の2番目で、大不況期に幼少期を過ごし、ラジオ店を経営する父親を9歳の時に失った。かれは1942年にオレゴン州立大学コーヴァリス校に入学し、電気工学を専攻した。米国は第2次大戦に参戦していたが、電気工学部の学生は徴兵が猶予され、かれは44年初めに海軍に入隊した。かれはレーダー技師になることを望み、資格試験を受けてレーダー、ソナー、無線通信機の操作、保守、修理の技術を身につけた。

エンゲルバートは45年8月15日にサンフランシスコを出航する船に乗り、船内放送で日本軍の降伏を知らされた。船はそのままフィリピンに向かい、サマル島に到着した。エンゲルバートは45年秋に移ったレイテ島の赤十字図書館でライフ誌に掲載されたバネバー・ブッシュのエッセイ「われわれが思考するごとく」の紹介記事を読んだ。このエッセイは45年7月のアトランティック・マンスリー誌に掲載されたもので、筆者はMITの教授でローズベルト政権の科学技術開発局長として戦時研究を率いた。

このエッセイにはMemexという架空の機械が描かれていた。膨大なマイクロフィルムから必要な情報を瞬時に検索でき、人間の情報を整理する能力を補強して思考の質を高める装置だった。エンゲルバートは、未来の機械の具体的な描写に驚いた。Memexは、記憶を拡張するデスクサイズの機械で、机上にディスプレイやノブを備えていた。

46年夏に海軍を除隊したエンゲルバートは、オレゴン州立大学で48年に電気工学の学位を取得して、NASAの前身の国家航空諮問委員会(NACA)に就職した。かれは、風洞施設があるカリフォルニア州マウンテンビューのエームズ研究所の航空機の開発現場に配属された。

かれは、友人からフォークダンスサークルに誘われ、バラードと知り合い50年12月に婚約した。しかし、この直後に人生で達成すべき目標をもたずに、幸せに暮らすという生き方に疑問を抱く。そして、当時カリフォルニア州でも開発が始まっていたデジタル・コンピュータとレーダーのCRTディスプレイの組合せで、Memexが実現できないかと考え始めた。

コンピュータ技術者に

エンゲルバートは、カリフォルニア州立大学バークレー校(UCB)の大学院に入り、開発中のCALDIC(California Digital Computer)のスタッフになった。CALDICは1,300本の真空管と1,000個のダイオードと磁気ドラム装置を備えた10進数の小型コンピュータで、1秒間に50の命令を実行できた。このマシンは51年に稼働したが、ほとんどの利用者は高速計算にしか関心がなく、CRTディスプレイ端末を使うことを希求したエンゲルバートは異端児扱いされた。

当時のコンピュータは、パンチカードの束を計算して結果を穿孔カードか印字で出力するバッチ処理マシンで、キーボードで入力した命令をディスプレイで確認する必要がなかった。エンゲルバートは論理学を学びながら、ガス放電ネオン管を使ったシフトレジスタの開発に取り組み56年に博士号を取得した。

エンゲルバートはUCBで1年間教職に就いたが、望みに適う研究はできないと悟り、GEやHPの研究所にコンピュータ・プロジェクトを打診し、スタンフォード大学にコンピュータ・サイエンス学部の創設を提案した。かれの提案は受け入れられず、次いでネオン管の応用製品を開発する企業を設立したが、半導体の台頭で事業の断念を余儀なくされた。かれはその後、メンローパークのスタンフォード研究所(SRI)で固体磁気回路でコンピュータを設計していることを知り、そのスタッフとして就職した。

SRIは、固体磁気論理回路のコンピュータを59年の秋期合同コンピュータ会議で発表し、61年に試作されてからAMPが商品化した。磁気論理回路は電圧の急上昇に強く、待機中に電力を消費しない特性を備え、ニューヨーク市の地下鉄やトロントの鉄道操車場の制御システムに採用された。

リックライダーとサザランドの影響

59年に集積回路の技術が発表され、エンゲルバートも回路の縮小技術を研究し、空軍から25,000ドルの助成を初めて獲得した。かれは「われわれが思考するごとく」を読み直し、空軍向けの報告書として人間の知的能力をコンピュータで補強する方策を執筆し始めた。

エンゲルバートは、60年3月にラジオ技術者協会(現IEEE)の技術誌で「人とコンピュータの共生」という論文を読み、自分と同様のビジョンをもつ人物の存在を知った。著者のJ. C. R. リックライダーは、思考するための時間の85%が情報を探し考える態勢を整えるために費やされているとし、異なる能力をもつ人間とコンピュータは互いに長所を補えると主張した。リックライダーはディスプレイとキーボードを備えた対話型コンピュータを空軍のSAGEやDECのPDP-1で経験していた。

エンゲルバートは61年に全米合同コンピュータ会議の委員に、「人間と機械の連携」をテーマとする分科会の開設を提案し、62年春の会議の分科会で座長を務めることになった。リックライダーも参加したこの会議で、MITの大学院生アイヴァン・サザランドが質疑応答の時間に「スケッチパッド」という描画ソフトウェアに言及し、参加者の注目を集めた。このプログラムは、描画に必要な要素を定義し、ライトペンで直径7インチのCRTディスプレイ上の図形を合成して新しい図形をつくることができた。エンゲルバートは図形を形成する要素がライブラリ化され、高い階層で共通の操作で描画できるプログラムを目の当たりにした。

MITリンカーン研究所で59年に完成したTX-2コンピュータは、CRTディスプレイを備えたコンソールにメモリノブがあり、サザランドは画面上の図形をコピーしてペーストできるようにしていた。

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