「神経系」としてのモバイルネットワークの役割

―「認識」「判断」「行動」の3層と通信ネットワークで実現 ―

「神経系」としてのモバイルネットワークの役割

 ここまで図1に示した「認識層」「判断層」「行動層」の各層、そして「シミュレーション基盤」は、フィジカルAIの実用にとってなくてはならないものである。特に「行動層」の要素の1つであるヒューマノイドロボットは、見た目のわかりやすさもあり、さまざまなメディアでもその動向が紹介されている。
 しかし、フィジカルAIが実世界で機能するためには、3つの層を確実に結ぶ通信ネットワークが不可欠である。図1で通信ネットワークを各層の「間」に配置したのは、まさにこの点を表すためだが、ここで重要なのは、認識層と判断層の間に求められる通信と、判断層と行動層の間に求められる通信では、その性格が大きく異なるということである。

認識層から判断層 ― 「大量のデータを途切れなく送る」通信

 認識層のカメラやLiDARなどのセンサーは、現実世界の状態を大量のデータとして取得し、判断層のAIモデルに送り続ける。例えば工場内を自律移動するロボットが搭載する高精細カメラの映像だけでも、条件によっては1台あたり数十〜数百Mbpsの上り帯域(通信速度)が必要になる場合もある。これが複数台同時に稼働する環境では、上り方向の通信容量はさらに膨大なものとなる。
 この区間で重視されるのは、上り方向の大容量通信(アップリンク)である。従来の携帯電話ネットワークは、動画視聴やWeb閲覧といった下り方向(ダウンリンク)の通信に最適化されてきたが、フィジカルAIでは逆にセンサーからクラウドやエッジへデータを送り上げる上り方向の通信が主役となる。さらに、複数のロボットやセンサーが同じ空間で同時に通信する高密度接続への対応も求められる。現在、3GPP注10で審議されている5G-Advanced(5Gの機能拡張版)では、この上り方向の強化が重要なテーマの1つとなっている。

判断層から行動層 ― 「正確な指令を遅れなく届ける」通信

 一方、判断層から行動層への通信に求められる性格は大きく異なる。AIモデルが生成したロボットの関節角度や移動経路といった行動指令は、データ量としてはセンサーデータほど大きくないが、わずかな遅延や途絶が物理的な事故に直結しうる。ロボットアームの制御や工場内のAMR注11の協調動作ではミリ秒(ms)オーダーの低遅延が求められる。
 そのため、この区間で重視されるのは、超低遅延と高信頼性である。5GのURLLC(Ultra-Reliable Low-Latency Communications、超高信頼・低遅延通信)は、まさにこの要件に対応する通信方式であり、判断層のAI推論をクラウドではなくロボットのより近くで実行する「エッジ AI」と組み合わせることで、低遅延で高信頼のフィジカルAIシステムを実現する基礎となる。
 またAIが変える通信ネットワークの未来でも紹介したAI-RANで提唱されている「AI on RAN〔RAN(無線アクセス・ネットワーク)上で動作するAI〕」は、この文脈で重要な意味をもつ。通信基地局のインフラ上でAI推論を実行することで、クラウドまでの往復遅延を省き、判断層と行動層の距離を物理的に縮めるものである。

3層をつなぐフィードバックループの通信

 図1の左側に破線で示した現実世界からのフィードバックループも、通信ネットワークが担う重要な役割である。ロボットが行動した結果として現実世界が変化し、その変化をセンサーが再び捉えて認識層に戻す。この循環が途切れなく回り続けることで、フィジカルAIは刻々と変わる環境に適応できる。
 このフィードバックループでは、前述の上り大容量と低遅延の両方が同時に求められる。現実世界の変化をセンサーが捉え(大容量)、それに基づいて瞬時に行動を修正する(低遅延)必要があるためである。ネットワークスライシング注12は、こうした異なる通信要件を同一のインフラ上で同時に満たすための技術であり、フィジカルAIの実用化においてその重要性が増している。

フィジカルAI実装に伴う安全と管理の課題

 ここまで、フィジカルAIの技術的な側面について整理してきたが、フィジカルAIの普及が期待される中、安全性と管理に関する課題も浮上している。
 デジタル空間のAIにおいてハルシネーション注13が問題とされているが、フィジカルAIの場合、ハルシネーションは物理的な事故や傷害に直結しうる。ロボットが誤った判断に基づいて行動すれば、人や設備に物理的な損害を与える可能性がある。このため、デジタルAIとは根本的に異なるリスク管理が求められる。
 例えば、2024年8月1日に発効されたEU(欧州連合)によるAI Act(欧州AI規制法)ではフィジカルAIを名指しで規定しているわけではないが、自動運転や産業用ロボットなど、人の安全に直接影響する用途で用いられるフィジカルAI関連システムの多くが「高リスクAI」に分類され、リスク管理や人による監督などの厳格な義務が課される見込みである。
 フィジカルAIの製品やサービスを国際展開する企業は、実務上、こうした各国への規制を意識しながら対応をしていく必要がある。


注10:3GPP:Third Generation Partnership Project。
注11:AMR:Autonomous Mobile Robot、自律走行搬送ロボット。
注12:ネットワークスライシング:Network Slicing。1つの物理ネットワーク上に用途ごとの仮想ネットワークを構築する技術のこと。
注13:ハルシネーション:Hallucination、幻覚。AIが事実とは異なる内容を生成すること。

◎著者プロフィール

新井 宏征(あらい ひろゆき)
インプレスSmartGridニューズレター コントリビューティングエディター。
SAPジャパン、情報通信総合研究所を経て、現在はシナリオ・プランニングの考え方を応用し、事業と組織の両面からクライアントの変革を支援するコンサルティング活動に従事。最新刊は『実践 シナリオ・プランニング』(日本能率協会マネジメントセンター、2021年5月30日発行)。 東京外国語大学大学院修了、Said Business School Oxford Scenarios Programme修了。株式会社スタイリッシュ・アイデア 代表取締役。 

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