ALOHANETの仕組み
ハワイ大学のチームは、UCLAなどでARPANETの経験者からソフトウェア設計の応援を得て、ヒューレット・パッカードのミニコンピュータHP2100をベースにインタフェース・コンピュータを完成させ、メナフーニ(Menehune)と名づけた。メナフーニは、ハワイの伝説に登場するこびとの妖精である。HP2100は1ワード16ビットで、32Kワードのコアメモリを備えていた。
メナフーニは、中央のコンピュータから各地の端末にパケットをブロードキャストする単一の通信チャネルで、各端末はランダムアクセス・チャネルでデータを中央のコンピュータに送信し、送信が成功するとメナフーニが受信確認信号(ACK)をブロードキャストする。ランダムアクセス・チャネルには端末からのパケット送信をスケジュール調整する仕組みがなく、複数の端末が同時にパケットを送信するとパケットが衝突してデータエラーを起こす。データエラーが発生したパケットは、受信側が廃棄する。受信確認を受け取れなかった端末は再送信することになるが、再衝突する確率を下げるため、端末自身が一定の時間枠内で待ち時間を任意に決める仕組みを採用した。
エイブラムソンは、1970年秋の米連邦情報処理学会(AFIPS)で、「ALOHAシステムーコンピュータ通信のもう1つの選択肢(The Aloha System--Another Alternative for Computer Communications)」を発表した。
アラン・オキナカ(Alan Okinaka)とデビッド・ワックス(David Wax)は、情報をパケットにするプロトコルと再送プロトコルを実装したターミナル・コントロール・ユニット(TCU)を設計した。TCUは、UHFアンテナ、トランシーバー、モデム、パケットバッファ、制御ユニットで構成されていた。
パケットは32ビットのヘッダーと16ビットのCRCに続いて、80バイト(640ビット)のデータ部があり、最後にも16ビットのCRCを配備した構成になっていた。ヘッダーには送り手を特定する情報があり、メナフーニは受信したパケットの前後のパリティチェックで異常がないか確かめ、受信確認パケットをブロードキャストで返信するが、このパケットはヘッダーが特定した送り手のTCUだけが受け取ることができた。
TCUはRS232シリアル・インタフェースで各施設のコンピュータ端末やミニコンに接続され、1971年6月に100kmの範囲で9,600bpsのデータ伝送速度でパケットの送受信に成功した。個々のパケットは704ビットで、73ミリ秒で伝送できた。エイブラムソンはTCUの設計上の利点とユーザの利便性から、全二重通信を実現したかったが、704ビットのパケットバッファを2つ備える必要があった。1つのバッファのコストが300ドルであったため、かれは経費を節約するため半二重通信を選択せざるえなかった。
TCUのパケットバッファはキーボード入力のバッファとしても利用されていたため、タイピングの最中にメナフーニからパケットを受信すると、バッファがオーバーフローして内容が失われ、タイプ入力をやりなおす必要があった。
衛星経由のARPANET接続
エイブラムソンは、1972年にワシントンD. C. を訪れロバーツとALOHANETとARPANETの接続について話し合い、同年12月17日に衛星を介した接続実験を行う計画を立てた。このプロジェクトではIMPをIBM360モデル65に接続し、ALOHANETを衛星通信で、カリフォルニア州マウンテンビューのNASAエイムズ・リサーチセンターのARPANETノードに接続することになった。
ALOHAシステムでは、パケットが同時に送られて衝突する頻度が高まると、再送が繰り返されることになり、無線チャネルの利用効率は最大でも17%程度であった。ロバーツは1972年6月26日に関係者に配布した「ALOHA packet system with and without slots and capture」で、各端末に時間スロットを割り当てて衝突を避ける方法と、同時に送信されるパケットを信号の強弱で判別し衝突しても信号が強いパケットを受信する方法を提案した。
ロバーツは当初、1965年4月に打ち上げられた最初の通信衛星INTELSAT Iの音声チャネル12本をリースし、12台の4,800bpsのモデムで56kbpsのデータチャネルにすることを提案した。しかし、エイブラムソンはINTELSATの運営主体のCOMSATのPCMの技術を活用すれば1つの音声チャネルでも56kbpsのデータ通信が可能になることを指摘し、ポイント・トゥ・ポイントのデータ通信実験が行われた。
INTELSATの衛星通信はパケット通信ではなかったが、1973年にNASAが1966年にハワイ東方に打ち上げた静止衛星のATS-1(Application Technology Satellite)を利用できることになり、パケット・ブロードキャスティングの実験ネットワークが形成された。西経149度上空に位置するATS-1は、地球表面の40%の領域で通信を成立させることができ、衛星パケット通信網はNASAエイムズ・リサーチセンター、アラスカ大学、日本の東北大学と電気通信大学、オーストラリアのシドニー大学が参加してPACNETと呼ばれることになった。